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〜 シドニー日本人学校での実践 〜 | |||||
岩見沢市立光陵中学校 教諭 竹内 結美 |
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(2) 人口・人種・宗教 2002年現在、ニュー・サウス・ウェールズ州の人口は約666万人と推定され、このうちシドニーの人口は、約399万人である。州内の人口のうち、オーストラリア生まれが77.6%を占め、その他は移民である。白豪主義の転換以降、世界から各種の民族を広く受け入れ、各文化の特徴を生かした多文化主義を進めてきた。しかし、ここ数年は移民の入国制限を行うようになってきている。平均寿命は、男性で76.6歳、女性82歳、平均1.76人の子どもを扶養している。1966年の国勢調査では、宗教別の信者の割合はオーストラリア全土で71%の国民がキリスト教徒(カトリック系27%、英国国教会22%)である。 (3) 生活・習慣 西欧的近代社会であり、特に目立って異なった習慣はない。人々は、一般に純朴、親切、誠実、質実剛健でスポーツ好きである。個人主義的傾向であり、生活は家庭中心、休日中心である。友人関係では親しく付き合うが、近隣の交際はあまり積極的ではない。社会保障が充実していることもあり、仕事を引退した後も、夫婦や友人同士で旅行したりスポーツを楽しんだりしている元気な老人が多い。挨拶はにこやかで、道を歩いている時や買い物の時など、少しでも体が触れたら「ソーリー」と謝るのがマナーとなっている。ドアから出入りする時は、後から来る人のためにドアをおさえるのが常識である。生活環境・自然環境を守る意識は強く、ごみや衣類のリサイクルシステムは進んでいる。樹木は、庭木でも無断に伐採すると多額の罰金が科せられる。交通事故で傷ついた動物の治療体制なども完備している。障害をもつ方々を社会全体でケアすることが当然のことと考えられ、ショッピングの広告等でも、障害をもつ方がモデルとして活躍している。 (4) 官庁・企業 会社、銀行とも営業時間は午前9時から午後5時までで、完全週休2日制である。しかし、24時間営業の現金自動引き出し機が普及している。商店は木曜日が午後9時まで営業している。以前は、土・日曜日は休業しているところが多かったが、最近、デパートや商店街は営業するようになってきている。 (5) サマータイム オーストラリアでは、州によって、サマータイムを実施している。通常毎年10月の最終日曜日から、翌年3月の最終日曜日まで時計の針を1時間進める。サマータイムを実施するのはシドニーが位置するニュー・サウス・ウールズ州、ヴィクトリア州、タスマニア州、南オーストラリア州である。ただし、サマータイムの実施期間、実施する州は年毎に変わることがある。(2003年度は10月26日から2004年3月28日まで) (6) 治安 治安は、大都市としては良好な方であるが、最近の失業率の増加に伴い犯罪が増加する傾向にある。特に、侵入盗、強盗、麻薬、性犯罪の増加が目立っている。盗難の場所で多いのが、自動車の車内である。また、自動車そのものを盗まれるケースもあり、警報装置や簡易ハンドルロックを装着して防いでいる。また、住宅への侵入も多く、補修工事などで他人が家屋に入った後や、長期旅行に出発する際にタクシーを利用した後に侵入されたという例も報告されている。女性が強姦されたり、幼児が強制わいせつ事件に巻き込まれることも意外と多い。子女の通学の際は、スクールバスなどの停留所まで親が送迎するのが原則となっている。 (7) 日本との関係 日本とオーストラリアとの関係は古く、明治初期(1883年)の移民に始まる。日本移民団の第一陣は、オーストラリア北東端にある木曜島へ真珠貝採取人として送られた37人といわれている。1890年には兼松治郎商店がシドニーに支店を開設した。1905年には日本米のパイオニア高須賀イサブロー一家がメルボルンに移住し、現在オーストラリアで生産されているジャポニカ米の基礎を築いた。その後、第二次世界大戦勃発により、日本とオーストラリアは敵対した。日本は、オーストラリアを空襲した唯一の国である。ダーウィン爆撃、シドニー湾への潜水艇侵入、カウラ収容所の日本人捕虜集団脱走事件、戦争花嫁などの話は、現在でも語り継がれている。現在、オーストラリアに長期滞在する日本人は、永住者約1万7千人を含めて約4万5千人。未届け分を含めると、実際はこれより2割多いと考えられている。全豪の日本企業は約600である。 |
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日本とオーストラリアの関係史 |
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1871年 最初の日本人定住者であった曲芸師がオーストラリアに到着。 |
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U. シドニー日本人学校(SJS)の概要 |
(1) 学校施設 学校の敷地は約53000uあり、とても広々としている。オーバルという運動場が2つもあり、1つはサッカーコートがとれる芝の運動場で、もう1つは全天候型の200mトラックのある運動場である。テニスコートも2面ある。また、敷地内には日本庭園があり、竹が生い茂り、皇室の植樹などもあって日本的な雰囲気が感じられる。数年前に和室も完成した。校舎は新校舎が平成8年に完成し、管理棟と普通教室(24教室)が新しい施設の中にある。冷暖房完備のとても快適な施設である。管理棟には1階に事務室、保健室、2階に職員室、印刷室、会議室などがある。各教室へは職員室から通路を通っていく。通路といっても廊下とは違い、外に面しているので、風が強い時にはかなり寒い日もある。教室の広さは縦8m、横10mぐらいで、日本の教室とほぼ同じぐらいである。窓は両サイドにあるが、日本ではあまりなじみのない上下の開閉式の窓が2ヵ所ついている。正面には黒板とホワイトボード、掲示板が1つずつある。後ろには広めの掲示板が1つあるが、掲示場所は少な目である。(掲示板以外の所にはイエロータッグと言って粘土のような物で貼っています。)児童用の机は日本のものとそれほど変わらないが(こちらの方が重いですが)、椅子はプラスチック製のものが多い。ロッカーは備え付けではなく、4つが1組になった木製のものを後ろまたは横に並べて使っている。イエローボックスといって小物を入れておけるものも壁に掛けて使っている。教師用の机、椅子は日本のものとさほど変わらない。音楽室、図工室、理科室、図書室等の特別教室は別棟にある。 |
(2) 日課について 学校は、朝8:20から始まる。毎朝職員室で全職員による打ち合わせ(日英両語や英語だけで連絡が行われます)があり、その後の各セクションの打ち合わせの後、8:30から朝学活、8:45から第1校時が始まる。1日の日課は次のようになっている。 |
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10:20〜はモーニングリセスといっておやつを食べてよい時間(日本では考えられないことですが)があり、担任は子どもたちが教室にいる場合には、教室に残ることになっている。また、プレイグランドデューティーといって、校庭など子どもたちが遊んでいる場所には必ず先生が看護につくことになっている。ランチリセスの時にも同様。他にも、キーデューティーと言って鍵の開け閉めをするデューティーやバスデューティーと言ってスクールバスの世話をするデューティーがある。子どもたちは全員がバス通学のため、3:25には体育館に集まり、バスの来た地区から帰っていく。4時前には全員の下校が完了する。 4時からは職員の会合が入っている。基本的に月曜日は各部会(小学部,中学部)と校内研究会が隔週で、火曜日は職員会議、学習指導部と生徒指導部に分かれての部会、部長会が月一回ある。木曜日は各委員会(研究推進,行事委員会(スポーツデー,オープンウィーク,ジョイコン等)になっている。部活動や清掃活動はない。 |
(3) 教育活動について 国際学級を併設しているため、現地校にあわせた4学期制をとっている。また、現地校の新年度は1月に始まるため、12月に国際学級の卒業式、1月に入学式を行うので、入学式と卒業式は年に2回ずつある。日本人学級の1学期は国際学級の2学期にあたる。日常の教育活動は日本での活動と同じであるが、SJSでは小学部に国際学級が併設されていることを生かして、日豪児童合同のミックスレッスンが行われている。教科は体育・図工・音楽の3教科。また、毎日、英語(EFL)の授業が現地教員により行われている。 ・体育 日本人学級と国際学級が合同で授業を行う。日本の教材は勿論、クリケットやタッチボール、ネットボールなどの現地教材も使っている。 ・図工・音楽 図工と音楽を組み合わせて、2時間続きの授業にし、日豪の児童を2つのグループに分けて1つ のグループが図工の時はもう一方のグループは音楽というように、交代で授業を行っている。共に現地教材を取り入れながら授業を行っている。 ・英語 小学部では毎日1時間ずつ英語の授業が行われている。(中学部 はEFLが週4時間。) 現地教員が1〜2年、3〜4年、5〜6年のそれぞれの学年を能力別に分けた4グループを教えている。現地のテキストを使い、英語だけで授業を行っている。 次に、SJSで行っている特色ある行事について紹介する。 ・スポーツデー 5月下旬に行われる運動会のこと。キンディークラスから中学部までの子どもたちが一緒に行うもので、種目もバラエティーに富んでいる。中学生が応援団を務める、迫力のある応援合戦も見物。 |
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・オープンウィーク 8月下旬に行われる現地校を招いての交流活動。以前はオープンデーと言って1日で行っていたが、数年前より1〜2年,3〜4年,5〜6年,中学部がウィーク中にそれぞれの相手校と交流活動を行うようになった。習字などの日本の文化を教えたり、折り紙、けん玉などの日本の遊びを教えたりして交流を行う。最終日はオープンデーとして、現地の一般の方にも来ていただいている。 |
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・ジョイントコンサート 11月下旬頃に行われる音楽会。現地校を招いて、演奏の交歓も行っている。日本人学級と国際学級が学年ごとに一緒のステージに立ち、合唱や合奏の発表をする。英語の歌も何曲か交ぜて発表している。練習の段階からみんなの気持ちが徐々に高まり、当日は例年すばらしいコンサートになっている。2003年度は新たに「ナイトパフォーマンス」という夜のコンサートに切り替えたため、例年以上の聴衆が集まり、大好評に終わった。現地校では土・日曜日よりも夜にたくさん行事が設けられているため、この 「ナイトパフォーマンス」は国際学級の保護者の要望が強く、キャンティーンなどの屋台も出店され、オーストラリア色の濃い行事となった。 |
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V. 中学部の教育活動の実際 | |||||||||||
<総合的な学習の時間の取り組み〜主体的な体験活動を通した自己表現力の育成のために〜> | |||||||||||
(1) 目指す生徒像 ・活動や発表・パフォーマンスを通して、自分の思いや考えを自信を持って表現する生徒 (自己表現力の育成) ・他人の考えや異なった文化に積極的に関わろうとする生徒 (異文化理解) ・様々な人々との交流を図り、対話しようとする生徒 (コミュニケーション能力の育成) (2) 活動内容 [ YK(キンディー)との交流 ] @活動設定の理由 小学部には国際学級があるが、中学部にはそれがないため、インタークラスとの交流がほとんどみられなかった。そこで、中学部とインターとの交流を「総合的な学習の時間」に取り入れ、英語での交流活動を行えば、自己表現力やコミュニケーション能力が高まると考えた。 A活動の実際 生徒の希望により、以下の6つのコースを作り、時間を区切って子どもを巡回させることで、全てのコースに参加するようにした。 ア) ENGLISH班 キンディーの子どもと歌やダンス、ゲームをすることによって交流を深める。 ・Eency Weensy Spider ・ The wheels on the bus ・船長さんの命令 ・カルタ イ) クッキング班 子どもたちが入ってきたら、簡単な英語でチョコレートバナナの作り方を説明、その後一緒に作り、動物などのかわいいトッピングをする。BGMをかけたりして、和やかな雰囲気を作る。 ウ) PE班 最初に、ケンケンパでウォーミングアップをして、その後宇宙とエイリアンという空間に導いて、そこから転がしドッジを行う。勝った子どもにはシールを与える。がんばった子どもにも与える。 エ) サイエンス班 はじめにやり方を説明し、5分間シャボン玉、5分間空気砲を使って遊ぶ。空気砲はろうそくの火を少し離れた所から消して遊ぶ。シャボン玉はできるだけ大きなものができるよう、針金の和を使う。 オ) 人形劇班 「ブレーメンの音楽隊」の人形劇を行う。台本から、ナレーター、配役、音響と1人何役もこなしてつくりあげる。早く終わったら、人形カルタ、イスとりゲームを行う。 カ) クラフト班 磁石を使った魚釣りゲームを行う。釣りゲームの釣りざお、池、魚を作る。子どもには魚の色を塗らせ、磁石のついたさおでクリップのついた魚を釣り上げる。 [ オーストラリア再発見 ] @活動設定の理由 オーストラリアに暮らす生徒も、オーストラリアのことについて知らないことが多い。また、日本について知らないこともある。生徒が、自分の興味・関心に応じて課題を設定し、日本とオーストラリアの文化や自然を比較し、その特徴を探求することで、両国のことをより深く知り、日本とオーストラリアと自分とのかかわりを考え、自己の生き方を見つめることができると考えた。 A活動の実際 生徒の興味・関心に基づき、課題を設定させ、調査・体験活動を通して自分で解決し、プレゼンテーション(ポスターセッション)を行った。 <課題の例> ・オーストラリアの絶滅しそうな動物について ・ブルームで活躍した日本人真珠採りダイバーの話 ・シドニー湾攻撃、ダーウィン爆撃について ・カウラ捕虜収容所からの脱走事件について ・ライフセーバについて ・オージーイングリッシュについて ・オパールについて [ 異文化体験 ] @活動設定の理由 SJSの特徴は、多国籍・多才な国際学級の職員がいることである。しかし、国際学級を持たない中学部にとって、EFL以外で現地の職員と触れ合う機会は少ない。そこで、「総合的な学習の時間」に、現地職員にマルチカルチャー的な内容で講座を開いてもらうことで、「他の国の文化を体験し、理解することで、世界の中の日本人としての自覚を育てる」「現地教員による授業の中で、生きた英語に触れる機会を持つ」ことができると考えた。 A活動の実際 < 第3学期…10時間配当 > 総合的な学習の時間を担当する3人のインターの先生に、各自が得意な分野のコースを開設していただき、生徒が選択して学習した。 ア) Culture コース イ) Music コース ウ) Sports コース ・世界各国の料理 ・ギターでフォークソングに挑戦! ・オーストラリアンスポーツ ・手芸 ・フォークダンス ( クリケット、オーストラリアンラグビー ) < 第4学期…6時間配当 > Y9のほとんどが帰国し、生徒数が少なくなるため、3学期のコースは開設不可能。そのため、全学年で毎週1つのテーマに取り組んだ。 ア) オリエンテーション・フォークダンス ・個人新聞の配布と4学期の総合についての説明 ・フォークダンス 集まった個人新聞を冊子にまとめたものを配布。他のコースの内容や他の生徒が作った新聞を読んで他コースを知る。後半は、Musicコースを担当した先生の指導による「フォークダンス」。 イ) 映画鑑賞 『Rabbit ‐ Proof Fence』 白人の父とアボリジニの母を持つ3人の子どもたちが、母親の元から連れ去られ、収容所に入れられるが、脱走して故郷に帰り着くという話。人種差別について考える機会とした。 ウ) ディジュリドゥー講習会 講師はRocksにあるdidjbeatというディジュリドゥーの専門店にお願いした。ディジュリドゥーの歴史、デザイン、吹き方などを教えてもらった。 エ) フィルム上映会 日本人の父親を持つアボリジニの女性が、自分の父親を探して日本へ行き、父親に会うまでのドキュメンタリーフィルムを鑑賞した。製作者の金森マユさんが来校。映画、ディジュリドゥーと、アボリジニについての学習をしてきているので、総まとめとして、疑問なことを金森さんに聞く機会とした。 オ) 反省会BBQ 反省会・感想発表を含めてBBQを行った。 Bまとめ方(ポートフォリオ) ・オリエンテーションの後、自分の選択したコースと、選んだ理由(動機)を記入。 ・各コースの授業の終わりに、活動の記録・反省などをまとめ、保管。 ・3学期最後に、それまでのまとめ用紙をもとに、自分の活動の記録をまとめた。(新聞形式) ・個人新聞が完成しなかった生徒は、サマーホリデー中の課題とした。(Y7・8) ・Y9については、受験後の学校の授業時間に完成させた。 ・4学期あけに、全生徒分をまとめて配布した。 |
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< 映画鑑賞の生徒感想 > 母親から引き離してまで白人の混血の子供達を白人と同化させる意味があったのかを考えさせられる内容だった。また、白人の気持ちがわからない。しかし、逃走の途中に食事を与えてくれる人々がいたことに感銘を受けた。どんな困難があろうとも自分達の母、故郷に帰るという気持ちを忘れぬ意志の強さは見習うべきだと思った。また、そこまで強い子供に育てた母親もすごいと思う。ほとんど何も苦労せず、周りに頼れる今の僕達に様々なことを考えさせる映画だった。 < ディジュリドゥー講習会の生徒感想 > この前は「生きのびる力」を学びましたが、今回は「音楽」を学びました。話せる、コミュニケーションを交わせる楽器は、もしかしたら、このディジュリドゥーだけかもしれない…。ショーンさんが吹いてくれた「ストーリー」もとても素晴らしいもので、前回とは違う感動を与えられました。改めて、アボリジニは素敵な人達だと感じました。 < フィルム上映会の生徒感想 > Lucyが、飛行機のチケットを手に入れたときのうれしそうな顔は、思わずこっちまで笑顔がこみ上げてきた。たくさんの義家族に囲まれている姿は、本当に楽しそうだった。いきなり「本当の父親じゃない」などと言われたら、きっとかなりのとまどいがあると思うのに、日本に行き、たくさんの人の協力を得て父親以外の義兄弟とも会い、故郷に帰るときには幸せな顔をしていて、とてもよかったと思います。 [ ドラマづくり ] @活動設定の理由 たった一言であっても、大勢の観客の前で台詞を言うという体験は、生徒にとって素敵な思い出となる。これがドラマづくりの一番大きな教育効果である。特に、ネイティブの前で、英語で公演することは、生徒にとって一生の思い出となり得る大きなイベントであると考えられる。 この中学部ドラマは、平成12年度よりスタートした取り組みであり、生徒たちにも年中行事の1つであるという意識があり、レディネスは年々高まってきている。指導する教師側にとっても、今までの活動からノウハウが徐々に積み重なってきた。「自己表現力の育成」の必要性からスタートしたドラマづくりは、今では中学部の目玉とも言える活動となっている。 A活動の実際 < 題材選び > 生徒の有志で「ドラマ実行委員会」を結成し、実行委員を中心にその年のドラマの演目方針を決める。その後、全員で台本選びまたは自作を行う。今までに取り組んできた演題は以下のとおりである。 平成12年度 ミュージカル 『オズの魔法使い』 ( 既成 ) 平成13年度 『あっぱれじゃ。殿様感動大作戦』 ( 完全自作 ) 平成14年度 『みんなの夢をかなえて!博士』 ( ドラマ台本一部改作) 平成15年度 『舌切り雀』 ( 一部改作 ) 台本選び・作成・または改作で考慮することは、6〜7場面に分けることである。これには、各場面担当生徒・教師が同時に練習できるという利点がある。 < 現地への発信 > リハーサルを兼ねた「第1回日本語公演」は、OPEN WEEKで招待した学校に鑑賞してもらった。招待校の生徒は日本語を学習している子どもばかりなので、「日本語の勉強になる」と好評であった。「第2回日本語公演」は、SJSの小学部日本人学級を対象に行った。日本人学級の子どもばかりなので、大変盛り上がる。また、「自分も中学部に行ったらドラマをやるのだ」という心構えにもなっている。日本語公演の後は、すぐに台本を英訳し、英語での練習が始まる。英訳は、現地校から転入してきた子どもや、EFLの上級クラスの子どもが中心となり、EFLの先生にもみてもらいながら完成させている。最終公演の「英語公演」は、SJSの小学部国際学級の生徒を対象にして行っている。日本人学級の生徒の反応とはまた違う反応が多く、演じている生徒にとっても多くのことを学ぶ機会となっている。 W. おわりに 多国籍文化の国と呼ばれるオーストラリア。確かに、私の周りの人々の出身地は様々だった。食事に招待したら、一族で来られてびっくりした「イタリア」出身の住宅オーナー。朝起きるといつもアリランが聞こえてくる「韓国」出身の隣人。出勤したらしたで、ものすごく足が速かった「南アフリカ」出身のYK教師に、英語・中国語・日本語を自在に操る「シンガポール」出身のEFL教師、日本人と良く似た気質でいつも安心して仕事ができた「ドイツ」出身の小学部教師、そして、忘れてはならない地元「オージー」たちは、ちょっとやそっとのことでは動じることなく、いつも「No worry!」と陽気だった。文化も環境も全く違うオーストラリアで、様々な人と関わりながら暮らしてきた派遣期間は、私にとってまさに日々是国際理解。ハプニングを大量生産する毎日だった。今後は、SJSで、日常生活の中で、体験してきたことを、日本の子どもたちに伝えていきたいと思っている。 最後に、このような貴重な体験の機会を与えていただいたことを感謝します。 |
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