守ってやらねばならない児童・生徒
日本で奮闘する外国人生徒
(身についた食生活での戸惑いと葛藤)
暑い国(熱い国)南米はリオ・デ・ジャネイロから帰国した当初は,寒さに震え,同僚教師からホッカロンを貰い上履きの中に入れしのいだことなど,今思い出すと滑稽な感じがする。
私が帰国した当時,俗語が流行り,生徒に「先生,ブリッ子って知っている」と云われ「ああ,知ってるよ,ハマチだろ」
「なに,それ! 先生!」
「魚の名前だろ!」
「やだあ,先生,本当に知らないの!」
「先生,おくれてるー,。日本人で知らない人がいるなんて,本当に知らないの?」
「わかんないな」
「先生,テレビ見ないの」
「しばらく,日本に居なかったからね」
「先生,何処に行ってたの」
と会話が弾み,この時は,
「先生,こんな言葉を知らないと馬鹿にされちゃうよ」と,言いながら女生徒が教えてくれたことを懐かしく思い出す昨今である。たった三年間,日本を留守にしただけでも,なにか遠い龍宮城に行って来たような気持ちになっていたのが帰国当初の思いであった。
その思いを心に秘めながら,毎日毎日,外国人・帰国(海外生活体験者)生徒に接し,気がついてみると十二年も経ってしまった。
突然の日本への来日で,親に母国に返してくれと,毎晩泣きわめき親を困らせた子。また本校に通学するのにバス・JR・私鉄と乗り換えてくるのに,電車の車体の色を教えたのに,車内の色を見て,みんな同じために,日本語も話せず,人に聞くこともできず,東海道線に乗り東京駅まで行き,自分の知っている「川崎」を連呼し,お昼にやっと学校に到着した子。その子が「先生,電車の色は全部同じだよ」とポルトガル語で云われ,唖然とした思い出もある。子どもの視点には気をつけなければと思ってしだいである。
また,食べ物に関してもいろいろある。つい先日,ドアを蹴破るような勢いで日本語教室に,M子が飛び込んできた。
「先生,私,もう絶対,お昼なんか,教室で食べないからね」と云って泣き出した。肩を震わせ,搾り出すような声とともに,目からは大粒の涙が吹き出した。
「どうしたの?」と,聞いてみても,激しい怒りの気持ちで言葉にならない。しばらくして泣き声も弱くなり,やっと聞き取れるような声で話し出した。ことの成り行きは,自分で作って持ってきたお弁当の包みを開けたとたん,学級の子ども達が皆,群がってきては,「なんだ,これは」と大半の子が,気持ち悪そうに見下し,
「おまえの国では,こんな物を食っているのか」
「おまえ,これ旨いのか,こんな物よく食えるな」と,男の子が面と向かって云ってきたり,女の子は,小さな声でヒソヒソと話し,笑ったりしていたとのことであった。
M子は,自分の一番好きな食べ物を持ってきたのに,友達に笑われ,馬鹿にされたことは,強烈なショックであった。
昼食時間中は,針地獄に座らされたような長い長い時間であった。そして,昼食時間終了のチャイムが鳴ると同時に,目には一杯の涙をため「日本語教室」に駆け込んできたのであった。
M子の持ってきた昼食は,日本で育った者にとっては,ちょっと珍しいが,何も馬鹿にするようなものではなかった。それは,ココアにご飯を混ぜた,日本でいう雑炊のようなものであった。口にしてみると甘く,口当たりのいいものである。しかし,ココアは飲物としか思っていない日本人には理解できなかった。
また,
O子は,私が朝,日本語教室にいくと,私の到着を待ちわびていたかのごとく,手に隠したものを私の顔先に,「先生,これ食べると美味しいよ」と,差し出してさた。
「先生,これ見ても変な物っていっちゃ駄目だよ,いい,絶対にだよ」と,念を押しながら,確認を取って,おもむろに手を開け始めた。
それは,鶏の雛一歩寸前の卵で,卵の中に雛が鎮座していた。
「先生これは美味しいよ,先生にやるから,食べてみて」これには恐れ入った。暫く躊躇していると,
「こんな美味しいものを食べられないなんて,先生も馬鹿ね」と云いながら,口の中にペロリと入れ,食べてしまつた。周りに居た生徒も唖然としていると,
「何を,変な顔してるの」と,云いながら,さも実味しかったように,舌ずりをしながら,手で口を拭いていた。
ごく最近では,日本語を子どもに習得させるために来日してくる外国人も多い。日本語ができると母国に帰ってからもいい職業に付けるからと,子どもに大きな期待をかけ,子どもは過大な期待のために,精神的安定を欠くようになっていろ子もいる。
日本に来た外国人は,日本語に苦労し,また食べ物や学校習慣や規則・日本人の気性等,様々な事について戸惑いながら生活している。周りの冷たい目を気にせずに,煽てたり・励ましたり・叱ったりして外国人自身に自信を持たせ頑張らせている。「真の人間理解」とは?,狭い人間自身の認識をどう広げたらいいのか,大人の感覚ではなく,子どもの視点を大事に「暖かい目で見守り,積極的に受入れ,生徒集団の中で生かす」ことを念頭に,外国人・帰国生徒に接している。