やさしい眼が,海外生活経験児童・生徒には必要
海外生活経験児童・生徒(帰国子女)と日本事情
私が帰国生徒教育の専任教諭として勤務する川崎市立宮前平中学校は,東京の西部,渋谷から電車で二〇分程度の新興住宅街にある。周りには,国家公務員,大手上場企業の社宅が多く,在住者の中には国内・海外転勤経験者が多い。その家族として,海外で多くの時間を費やし,日本の学校生活はもちろんのこと,日本での生活そのものを経験していない生徒が多く在籍している。そのような生徒を対象に,一九八一年から「日本語回復教室」を開設し,日本語が不自由で,日本事情がわからない帰国生徒(三人)を受け入れ,日本語及び日本事情理解のための教育を施してきた。さらに,外国人生徒も受け入れ教育を施してきた。この生徒たちと,日本に生まれながら育った生徒との,決定的な相違点は,日本語による,日本語のシャワーをほとんど受けていないことである。そのための弊害が多く見られるようになり,日本語だけではなく,日本事情の教育の必要であることを実感し,実行してきた。
初めて乗る電車・パス
家族と海外で生活してきた生徒は,国際的で開けていると一般的に言われているが,本当のところは,そんな事はないという場面が多々あった。日本での生活経験がなにもない生徒は,殆どバス・電車に自分で乗ったことがなく,乗り方さえ知らない生徒が多かった。ある生徒などは,しっかり知識として電車の乗り方を教え込んでから,実際に乗ってみたのであるが,最初から不安だらけであった。まず,
@キップを買う前に母親に電話をし,
A買った後で,また電話をし,
B乗り換え駅のホームについて電話をし,
C乗り換え駅の改札を出たところで電話をし,
D到着地の駅の改札を出たところで電話をし,感激で電話口で泣いていたとのことであった。
このような生徒は一人だけではなく,多くの保護者の方から耳にするようになった。ただ日本語だけを指導するのではなく,日本における「生活としての日本事情」を教えてやることの必要性を感じた。そのため,写真,ビデオ,絵等を活用し,さらには,生のテレビ放送を活用しながら指導してきた。
宮前平中は,特に日本語が理解できない生徒を指導していることから,学区域外の川崎市内から通学してくる生徒が多く在籍している。そのために,交通機関の案内については,学校の最寄り駅から,乗り換え駅,下車駅まで,同行指導することを日常的に行っている。また,外国人の場合や,日本語を理解できない日系三,四世の場合などは,通学定期を買うことができないため,定期販売駅まで同行し,買い方から指導している。
知らない日本の学校行事
日本における学校行事は多種多様なものがあり,言葉だけでは,本当の意味が通じないことが多くあった。その中で,「体育祭」の説明をしたところ,遊び的要素の多い「フェスティヴァル」と理解し,その場で,飲み物は,お菓子は,…と考えてしまっていた。さらに,遊び的競技には,どんどん出場するんだと意気込んでみせる生徒まで出現した。言葉で,楽しい運動的行事であると説明はしたものの,教師が逆に戸惑ってしまったりもした。このような,理解不足を補うために,以前収録しておいたビデオを見せることは大いに役に立った。
「体育祭」だけではなく,「合唱コンクール」「陸上競技大会」「入学式」「自然教室」「夏期施設」(林間学校)「百人一首大会」「文化祭」「川崎市Student International Festival」「帰国生徒座談会」「修学旅行」「卒業式」等のビデオは,日本の学校事情を正確に伝えることに大きく貢献している。
日本における学校教育について
日本に帰国したり,来日してきて,日本の学校に入ってくると,日本の多くの学校で採用している,「制服」についての不満は大きなものがある。特に,先進諸国といわれる国々からきた生徒は,「どうして,自分の着る服を自由に着れないのか」と,一様に口にする。(なかには,海外で私立に学び制服を経験している生徒もいるが。)日本は,一つ一つ規則が多すぎると,多くの帰国生徒は言っている。これらの生徒には,私立学校の案内などの写真を見せたり,各生徒一人ひとりの家庭環境などにより,学習という面に集中できず,服装を気にしてしまう生徒がでてしまうことの弊害などを話したり,日本古来からある,仏教思想の「心のみだれが姿に表れる」との考えから,服装のみだれに対しての学校規則も理解させるようにしている。
これらの生徒への,解答はどの教師でもできるかというと,寂しい話ではあるが,ノーと言うしかないのが,現実である。
なぜ,言葉の分からない国へ行ったときより,言葉の分かる日本へ来たときのほうが,戸惑いが多いのか?
これは,現実に帰国生徒教育に携わった教師に共通した疑問でもある。しかし,これを日本だけに生活してきた一般の教師に,理解をしてもらうことは短時間にはできない。海外各国の生活習慣や,学校教育を目の前にすれば即理解できる。しかし,日常生活の中で,海外各国の暮らしぶりを理解できる思考傾向をもっていないと厳しいものがある。教師の対処の仕方が,思考傾向が違う生徒に対しても,日本国内で生活してきた生徒と変らないことから,多くの戸惑いを生じさせている。それは,細かい説明などはなく,ただ「やれ」の号令だけの日本的指導がよい例である。このような生徒には,生徒本人の考えをよくん聞いてやり,主張を理解したうえで,日本でのやり方を話し,納得させるようにしている。この際には,日本の教師の指導形態にまで踏み込んで話を進めていかないと理解を示してこない。
学校における食生活について
昼食時はお弁当となっているが,最初に「本校はお弁当です」というと,ニッコリする生徒が多い半面,母親は,「お弁当ですか?」とトーンを上げて聞き返すことが多く,生徒は喜び,母親は残念がる光景がよくある。日本で暮らしてきている母親であるから,日本の様子を分かってお弁当を作っているかというとそうではない母親が多い。なかには,クッキーをお弁当に持たせたり,コーラを持たせる母親もある。外国人の母親の場合には,日本のようすが分からないので,学校での昼食時のビデオを見せ,日本のお弁当について話をしている。最近では,日本人にも説明をしなければならない状況もある。
学枚内での履きもの
父親が最初に学校につれてくる場合,注意をしていると,履きものを変えずに,下履きのまま学校に入り,話しをしているケースが多い。父親は,会社で当たり前に,下履きで全ての生活を送っているのが影響しているようである。それは,生徒も同じで下履きで上がってきている。この際には「何気なしに」スリッパを持ってきて,「これを使ってください」と,横に持っていくようにしている。
学校内を案内する時に,学校内での履きものについて説明している。しかし,面白いことに,母親が一緒にくる生徒の時には,必ず履きものを変えてきている。この他にも,実物を使っての指導としては,日本独特の食べ物などを,実際に食べさせたり(和菓子等),手に触れさせたりしている。
指導には,実際のものに触れることが一番よいが,実際にふれたり,見ることができないものについては,視聴覚機器を使用して,どんどん教材を増やして行かなければならないと思っている今日この頃である。