まだまだ海外生活経験児童・生徒(通称 帰国子女)の問題は 

  多く存在している。教師自身が温かい目を持っていく必要がある。 

 

 「校則が守れなかったら 

    自分の学校(学区域内の)に帰れ!」

 

 

先生。この子,どうにかしてよ」

「何を話しても,どうして?と,うるさくてしょうがないよ」

K中学に勤続10年の学年主任をしているT先生が勢い込み職員室に駆け込んできた。帰国子女教育担当教師の教諭は,T先生の様子に一方ならぬ出来事が起こったことを感じとった。T先生は普段の発言から帰国子女に対して,良い印象を持っているとは思われないからである。続けてT先生は,

「この学校の校則を守るように言っても,返事もしないで,“先生どうして靴下を伸ばしてはいけないんですか”とか“どうして長い髪はいけないんですか”とうるさいのなんのって,この忙しいときに,もういちいち説明なんかしていられないよ。先生,帰国子女なんだからあとは頼んだよ。」

「こんな手の掛かる帰国子女なんか,もうお断わりだね」なんと冷たい,一言か。むっとする気持ちを押え直し,

「後は,ゆっくり事の成り行きを聞きますよ」

「事の成り行きなんかどうでもいいから,しっかりと校則を徹底してよ」

うるさいジャジャ馬を手から離してせいせいしたと言いながら職員室を出ていった。

教諭は,K中学校には教師が思い通り管理できる校則を,徹底させることが大事だと思っている教師が多いのに普段から呆れていた。

帰国子女・外国人子女はお互いに,異国の地で苦労をしている。したがって,少しでもできることがあれば,お手伝いし,苦労している気分を和らげてやる必要がある。このことを実感していたために,教諭は,一段と暗い気持ちになりかけた。

しかし,自分一人くらい帰国子女や外国人子女を暖かく見守ってやらずして,誰が見守ってやることができるんだ。と,心に言い聞かせながら,T先生が連れてきた「B子」に声を掛け,生徒相談室に歩を進めた。B子は開口一番

「先生,私はまだ来たばかりで,学校の校則も何にも知らないのに,校則を守れですよ」

「それも,皆が見ている目の前で,“B子お前の頭のリボンはなんだあ”ですよ」

と,怒りを顔一面に表しながら,教諭に話しかけてきた。無理はない,K中学校に登校し始めてからまだ一週間も立っていないのであるから。

それに,アメリカの大都市ニューヨーク近郊で生まれてからアメリカで過ごし,アメリカの学校にしか通学したことがなく,日本の学校に対しての知識がなかった。将来的にもアメリカで過ごす予定が,父親の転勤にともない日本に来てしまった。姉二人はアメリカの有名私立大学に通っていることからまだ,日本には帰国していなかった。日本に来てからは,生活適応も未学習の事も大変だろうと,帰国子女教育には暖かい対応で有名なK中学校に入ってきた。そんな背景のあるB子の考え方や,学習に対する姿勢などを知ることから話を進めていった。

「なんで日本の学校の先生は,校則の徹底にうるさいんですか」

「なんで皆んなと同じにしなければならないんですか」

「個性なんかはどう考えているんですか」

「担任なんかは,この学校に来たばかりで校則も知らないことを知っていて,言うんですから」

「アメリカでは,何を着てきても誰も何も言わないですよ」

「暑いのに上着を脱ぐこともいけないんですか」

「いくら暑くても,ベストを上着の下に着なければならないんですか」

と,疑問ばかり投げ付けてきた。

教諭は,その疑問を聞き入れながら,さらに,今日の出来事の発端を聞き出していった。それは,頭髪に付けてきたリボンの色について最初に指摘されたことが発端であった。それに続いて,

「頭の前のカールはパーマじゃないのか,パーマするな,いけないんだ,いいか。明日までに直してこい。」

「毛の長さも長すぎる。長さは肩までだ,いいか」

「長い髪でいたいなら,リボンか,ゴムで止めておけ」

「リボンは,黒か紺色だ,それ以外は駄目だ」

「ピアスはやってくるな」

「スカートも長すぎる,もう少し短く履け」

「今履いている靴下は,真っ直ぐに伸ばしているが,それは三つ折りにするんだ」

「靴下は白一色だ,マークは付いていないやつだ」

「暑くても上着はきちんと着ていろ,ボタンを外したりみっともない着方をするな」

「五月いっぱいは,ベストも必ず着用しろ」

「靴はカカトを踏まないできちんと履け」

さらに朝会のときの態勢にまで話が及び

「朝会の際には,真っ直ぐ前を向き,前で話す先生の顔を見て話を聞け」

「整列は真っ直ぐに一直線に並び,左右から顔を出すな」

と,担任教師から次々と言われ,初めての日本の学校に通学し始めたのに,なんと拘束力が強いのか,ショックが大きかった。自分では,暑ければ着ているもので調整をするのが当たり前,人に見せるものでない靴下などはそのまま履けばいいのに,わざわざ三つ折りにしなければならないのか,頭の中では不満が渦巻いていた。また,この佐知子については,アメリカの学校の各担任教師から,最高の誉め言葉で綴られたスチューデントレポートが送られてきていた。これからも理解できるが,生徒としては品行方正な優秀な生徒であったようである。アメリカの学校では学業・素行面とも模範生として何回も表彰を受けていた。そんな佐知子が,日本に来た途端に,頭から自分の言い分を聞いてくれず,罵られ,ツッパリ生徒の扱いを受け,校則に対して説明も受けなかったことに怒っていた。また,女の子としての象徴としてやっているピアスを取れと言われたことには大きなショックを持った。さらに,

「ここの校則が守れなかったら,自分の学校に帰れ」 とまで言われていたのである。プライドの高い佐知子が,人前で口汚く罵られたことは,このうえない屈辱であった。この佐知子に,教諭は,まず言い分を言わせてやり,それを全部聞いてやった。自分の言い分を口に出して,聞いてもらえたことによって気持ちの落ち着いてきたようで,話をしても聞く耳を持ってきた。日本の学校の教師全員が,何もかも,否定的な考えのもとにやっているのではなく,日本の学校がなぜ校則を作り,生徒全員に義務付けているのか話をした。

頭の回転の早い子であり,一応,教諭の説明を受入れた。しかし,

「先生の話は分かりましたが,私がそれを実行することは別のことですよ」と,全面的に理解したわけではなく,話を対等にしてくれたことに対して感謝し,自分で考えさせてもらいますよと言いながら退室していった。この後,数回に渡って話をしながら,自分の見てきた日本の生徒の実態からして,なぜ学校の教師側が校則を用いて指導しているか,理解を示してきた。しかし「自分の学校に帰れ」の一言には最後までこだわっていた。その後,これからは,

「家庭でもしっかりと躾の教育をしていかなければいけない」

「一人一人が行動に対して自分で考えていかなければいけない」

「日本人の生徒は,甘えていて,社会問題にも関心を示さないことは馬鹿だ」等と,全校生徒を前に弁論大会で堂々と主張したのである。

 

 背景には??? 

1中学校一般での見方

 日本では表面に表われる,外面的なものが重要視される。これは一つの見方であって全体を見る指標には成りえない。しかし,学校教育の現場では,子ども達の非行化の芽を摘み取るための指標・判断基準として,外形的変化を真っ先にチェックしている。まず,非行化の前兆として,

 @爪にマニキュアを付けたり,長くしたり

 Aピアスを付けたり

 B頭髪を染めたり,パーマを掛けたり,髪形に凝ってきたり

 Cスカートを極端に長くしたり,極端に短くしたり

 D鞄に色々なアクセサリーを沢山付けたり,ペシャンコにしたり

 E言葉遣いが乱暴になってきたり

と変化を大事に見守り,指導の対象としていることが多い。

 その為に,教師側は,服装の身だしなみには一方ならぬ注意を払っている。しかし,子ども達の内面はそれほど単純ではなく,いろいろ葛藤を繰り返しながら,試行錯誤し,行動に表している。現在の生徒は,という言葉を良く口にする教師が多いが,経済的に豊かになり,身なりも良くなっているが,内面的な葛藤は昔も今も変化なく,多かれ少なかれ経験し続けている。現代の子供達は集団行動は嫌がり,嫌っているということが言われるが,一世代前の人々のように学生運動という形で,社会に出ていけたことは幸せではないかと思う。しかし社会的に自分達の不平不満は無いかというと,そうではなく,社会的不平不満を発露する場面が無いからであって,決して社会に目を向けていないわけではない。その証拠に,社会の不平不満を歌に託して歌い上げていた有名歌手には,ものすごいエネルギーで接触を図っていた事実がある。したがって,今のような社会にあっての社会貢献・社会改善を考えさせながら,自分達の立場で,より良き生活の場を維持する方法を考えさせる必要がある。日本の社会は個人の在り方よりの集団いわゆる,“みんな”にとってどうかという,集団を基準にした判断指標があるが,これを個人レベルまで変える必要がある。

 

 ちょっと考えてみると??? 

 この生徒は,その後も数回の話し合いを持つまで,同じように校則違反を続ける身だしなみをしながら登校してきていた。この問題になった校則はどんな背景から生まれてきたのか,教師サイドが改めて考えさせられる場面になってきた。ただ単に,集団行動をする上で管理指導しやすいから校則を作ってきたのではないかと思われる事柄が次から次へと出てきた。また。ある生徒は「どうも日本の小・中学校,特に校舎では生徒一人一人を軽視し,クラスないし,学年という大きなマスでとらえ,統制しているようです。具体的にいえば,種々の行事に強制的に参加させられることです。私,個人の意見としては,体育際嫌いな人,合唱コンクールの嫌いな人,ETC等,僕達の年齢ともなれば色々な好みを持つ人が居るはずです。やはり,それらに関心の高い人だけが,積極的に行なうほうが少数の人数で室の高いエンターティメントを行なうことができるのではないかと思います。学校側としては,情操教育の一環として成功していると思い込んでいるようですが,とんでもない……この殺伐とした校内の雰囲気はいったいどこから来るのでしょうか。また,日本の学校の規則は全般に厳しいと言われていますが,果たしてそうでしょうか。私などは,英国から帰った身,生活の細かいことに文句を付けるナンセンスなものばかり目立ち,公衆道徳の根本的なことに関しては,あまりに無頓着なので呆れてしまいます。それから先輩,後輩だと,とやかく言いますが,肝心の大人の対する言葉,敬語の使い方の乱れ方には,ただ驚くばかりです。しかし,先生方にも暴力団の幹部のごとき喋り方をする先生が居るので考え様によっては生徒が敬語を忘れるのも当たり前というような気がします。ともかく,学校に不要物を持ってきてはいけないなど,広い視野で見てナンセンスと思われる,規則は,廃止の方向に持って行くべきです。しかし,今すぐに,という訳には行かぬでしょう。生徒が,これ以上自主性を欠いていれば,いざ,フリーな状態にされると,とてつもなくだらしなくなるのは目に見えているからです。」と,大人顔負けの分析まで行なっている。このような批判を受けた校則は,

 @個を無視し,集団的統率を主眼に作られた

 A子ども達の側に立った考え方は無視して作られた

 B家庭教育でなされるべきものが多く含まれていた

 C公衆道徳を念頭においた校則は殆ど無かった

さらに,校則に対して教師の理解が徹底していなかった点として,

 @明文化されていない事柄に対して,見解の不統一が見られた

 A校則が出来上がった背景などを理解していなかった

 B帰国子女には校則は説明に留め,良く説明し,納得いくまで時間を掛け指導はしない

 C帰国子女に対して校則での拘束は優しくするということが不徹底だったとのことが,徹底せず,子ども  達の不平不満を募らせた。

 また,諸外国の様子などには,教師自身があまり触れる機会が無く,諸外国で行なわれている教育の様子には理解できないことが多くあった。

このB子への指導で忘れてはならない点として

 @姿,形は日本人でも思考形態・行動様式はアメリカ人であった。

 A日本の学校の様子については何も理解できていなかった。

 B日本的文化を知らず,日本的思考で接する教師の話が全く理解できなかった。

 C思考の原点が,“なんで”という問い掛けから発しているために,物事に対して生徒自身の思考による理解が必要であった。

 Dアメリカでの学校教育の思考法が身に付いていたが,日本の教師はアメリカ式思考法を知らなかった。

為に,生徒のB子が理解できる話をすることができなかった。

 

 こんなことを考慮すれば 

 このような“なぜそうしなければならないのか”問い掛ける生徒が多くなってきているために,より以上細心の心遣いが必要になってくる。特に,日本的な“一把ひとからげ”の校則ではなく,個人の人間性を重視した校則の構築が望まれる。また,このB子のような生徒には,徹底した話し合いを持ち変えられない校則があったとしても,生徒個人を尊重した指導が必要になってくる。日本の学校に慣れ親しんできた生徒でも,学校が変わったことで,校則に対して不適応状況を現わすことがある。ましてや,日本の学校を知らない,外国人生徒や帰国子女の子供達は,細かい家庭教育まで網羅した校則には不快な気持ちを持っている。このようなことを良く理解した上で,全体行動の中で,少しくらい行動がスローモーでも,少し待つことのできる精神的余裕を教育者が持ち対処していく必要がある。

このB子に対しては,

 @生徒の言い分を最後まで,全部聞いてやった。

 A色々うるさく言うが,生意気だという認識を捨てて対処した。

 B生徒が聞いきことに,納得いくまで話してやった。

 C校則はなぜできたのか,発想源まで突き詰めて話してやった。

 D日本の生徒の実態を話し,家庭教育の現在の在り方も話した。

また,周りの生徒には,外国の教育理解の一環として

 @外国での教育上の校則について紹介する

 A外国の学校での生徒の社会的事件への認識状況について,帰国子女に話をしてもらい問題提起をしても  らう

 B外国の学校での生徒の生活状況・学習状況について,帰国子女に話してもらう

 C外国の学校に行ったときに,何も分からない外国語をどのようにしてマスターしていったのか,帰国子女に苦労話を話してもらうということを行なった。また本人が,積極的に日本人のことについて発言をしていたこともあって,帰国子女教育担当教師として,少しでも社会問題に目を向けるような生徒が多くなるよう,社会科教師の応援を得て,教科指導の中でもどしどし社会問題を口にしてもらうようにした。日本にだけ居た生徒は,社会問題に目を向けている生徒は少なく,自分の身の回りのことだけに関心がいっていることが多い。このような生徒集団に,自分達の校則に対して真剣に考えさせることが,帰国子女が日本の学校に入ってきたときに,不適応反応を起させないような校則ができるものと考えた。そのために,国際理解・国際親善のための教育を進める必要があった。したがって,帰国子女を仲立ちとして世界にも目を向けさせ,また自分の国の歴史・文化・自然にも関心を寄せるような教育をしていく必要がある。