自分の子どもをよく理解している保護者 

 

「先生,自分の子の学年を一つ下げてください」       

 

 朝の一番忙しいときにK中学校の電話がいつものように鳴った。電話口には帰国子女教育担当のA教諭先生が呼ばれた。電話口に出てみると,アメリカのニューヨークからであった。このK中学校には海外の国々から電話が掛ってくることは珍しくない。A教諭は何時もの帰国に関しての編入学相談の電話かと思い,出てみると,

「財団の学校便覧を見て電話させてもらっています,この度,ニューヨークから帰るんですが,子どものことで相談に伺いたいんですが如何でしょうか」「どうぞ,何時でもいいですよ。でも電話でも宜しいですよ。でも電話代も大変でしょうから,帰国してからまた電話してください」

「今,一つだけ,ちょっとお聞きしてもいいですか。今度,日本に帰ることになったんですが,先生のK中学校に入れていただくためには,どこに住んだらいいんでしょうか」

「学区域内か,帰国子女の方なら,市内ならどこでもいいですよ」

「そうですか,市内ならいいんですね。その他には条件があるんですか」

「帰国子女であって,未学習教科の補習授業を必要としている子。また海外の学校では人数が少ないのに,日本では多くの児童生徒がいることから,生活適応指導が必要である子は入れています」

「そうですか,では,日本に帰国してから電話を掛けさせていただきます」「何時でもいいですが。学校に居ないときも在りますから,その時は自宅まで電話をして頂いてもいいですよ」といい,自宅の電話番号を教えた。

その段になって,やっと電話の主が誰であるのか分かった。電話の主は,須藤哲夫の母親であった。

A教諭は,教育相談の依頼には,何時でも時間を作って相談に応じている旨を言い伝えた。

この電話から一か月くらいしてから,K中学校に電話が入ってきた。

「先日,ニューヨークから電話をさせていただきました須藤ですが,今日,日本に帰国してきましたので,早速先生に相談に伺いたいんですが,いつ頃がいいんでしょうか」

「何時でもいいですよ,今週は居ますから,いつでも大丈夫ですよ」

「それでは,明日にでも伺いたいと思いますが」

「明日では,身体も大変でしょう,それに子どものほうも帰ってきてすぐで,大丈夫ですか」

「はい,色々事情が会って帰国したものですから,一刻も早くお会いしてお話を伺いたいんですが」

「こちらは構いませんよ」

翌日,母親と須藤哲夫君はK中学校に姿を初めて見せた。

「先生,お電話で色々ありがとうございました。この子が哲夫です」

「こんにちは,どうですか,眠たくない?,色々と大変だったかね,まあ日本の学校でも大変なこともあると思うが頑張ってやろうね」

「先生を訪ねたのは,色々な問題があるときはA教諭先生に頼んだら悪いようにはしないって,ニューヨークのお母さん方が言っていたものですから」

「力になれるかどうか分かりませんが」

「実は,先生早速ですが,日本では年齢の学年より,学年を下げて学校に入れてもらうことはできるんですか」

「それはまた,どういうことですか」

「実は子どもの学年を一つくらい下げて入れてもらえないかと思いまして,住民登録などの手続きをする前に,A教諭先生に相談に乗ってもらおうと思い出掛けてきたんです。直接会って色々お願いしたいと思って伺いました」

「そうですか,でも学年を下げるということはちょっと抵抗が在りますが,本人はどうなんですか」

「実は本人は,ニューヨークでも学年を下げられていたものですから,抵抗はないと思いますが。そうだよね」

「僕は,あんまり気にしません。でも日本の勉強は難しいと言うから,少しでも分かるように時間を掛けて勉強できるほうが良いです」

「今迄にもそういう申し出が会ったんですよ,でも日本語が分かり使える生徒には,年齢通りの学年に入ってもらっていたんですよ」

「たとえ海外で落第して学年が下がっていても,日本の学齢にあわせてもら

っていたんですよ。その生徒は,初めは悩んで苦労していましたが,だんだんに学力が付いてきましたよ,だからあまり心配なんかしないで年齢通りの学年に入れたらどうですか」

「いえ,家の子は,アメリカでも学習についていくことができず,本当に学習には嫌悪感を持っているんです。ですから少しでもゆっくりと学習させてやりたいんです。それにまだ精神年齢も幼いし,ニューヨークに長いこと居たのに英語もよく分からないんですよ。本人の前ですが,あまり学力があるようには思えないんですよ,ですから,ぜひ学年を下げて入れてもらえたら,少しは余裕を持って勉強ができるんではないかと思うんですが」

「あくまでも保護者の強い希望・要請があれば,これは考えてやる必要が在りますが,本当にいいんですか」

「本当にそうしてもらいたいんです」

「学校長が教育的配慮としてOKを出して貰えればそうできますが,あくまでも,保護者であられるお母さん,お父さんの意思一つです」

「一年くらい下げたところで,一緒になった生徒さんと同じような学力を付けることは難しいと思いますが。少しでも差が縮まっていれば,本人もやる気を起こすんではないかと思います」

父母は完全に自分の子を一年下げて学校に入れたいことが分かった。これをもとに,A教諭は学校長と話し合いを持ち,生徒の良き方向にと考えて対処した。この生徒は一学年下げて編入学した。しかし,その後の学習状態や,生活状態からして,一学年下げたことが良かったのか,悪かったのかは即答できない。学習に対する意欲もあまりなく,遊び関係のことに対しては人並みにやるが,その他の活動には活発に参加していない。

 

 

 背景には 

 

1社会的背景

 今迄の海外赴任者というと,在外公館勤務者か商社勤務者と限られていたが,今では,あらゆる職種の人々が海外赴任している。その為に,前任者も居ないなど,海外での情報があまりない会社も多く,海外赴任する際いろいろな情報を耳にすることなく,海外に家族を同行しているケースが多くなってきた。そのような人々は,英語コンプレックスもあり,せめて英語ぐらいは子ども達にマスターさせたいという気持ちが多い。我々日本人の中には「語学はその国に行けば自然に覚えるもの」という考えの人が多い。したがって,英語使用国に赴任先が決まった人の中には,自分の子ども達の教育に対して安直に考えて,英語は将来的にもマスターしていればいいからと現地校にすんなり入れてしまうケースが多い。しかし,ここ数年,日本人が数人いる地域の学校に通学させると,授業時間以外の時間は,日本人だけでくっついてばかりいて,地元の児童生徒と話をしない子どもが多くなってきた。そして,英語を覚えようともしないで,ずうっと,ESLに通級し,普通学級に行くまでの語学力を身に付けない子どもが多くなって,講師を沢山雇わなければならないことから,地域社会から日本人のために予算を使い過ぎるとの声まで上がってきている。子どもは,生まれてからマスターした,自分の理解できる言語で教育を受けるのか最も良いが,最近のように国際間の交流が盛んになってくると,教育施設に入る前にマスターした言語意外の言語で教育を受けざるを得なくなる。したがって,言語をマスターすることが大きな負担になって来ている。なかには,言語アレルギーを起こし,現地の学校には通学することを拒否している子どももいる。このことが原因になって家庭内暴力に発展し,悲惨な状態になった家庭もある。また,身体的にも拒絶反応を示し,学校で勉強をさせるような状態ではなかったケースもある。したがって,日本にいたならば何も学習に障害を訴えるようなことはなかったと考えられるような子どもでも,海外という今迄に経験したことのない違った文化の中では,取り返しのつかないマイナスの特性を身に付けてしまっていることがある。

 

 どんな手だてを 

 この生徒は家庭ない暴力までは発展していなかったが,ニューヨークの学校では成績は惨嘆たるものであった。この成績表を目にしたら,誰でも素直に保護者のいう通りに学年を一つ下げてやるのが最も良い道ではないかと思う。しかし,この子どもの精神的な劣等意識を改革することが大きな問題点であって,ただ単に学年を下げてそれで解決したと考えることはできない。この劣等意識について,保護者から色々と聞き出しながら,編入学後に継続的に指導を開始した。まず,未学習教科,未学習分野の把握をし,それらに対しての補完教育を実行した。この学習は本人にとって苦痛な時間であった。しかし,日本で高等教育を受けたいという希望を叶えるためにも補完教育は必要なことであった。この指導には,知識を植え付けるということよりも,興味を持たせ,学習することによって知る楽しさを味わらせることを主眼において指導をしていった。そのために,音楽的な要素の入った教材を使用したり,コミック版の教材を使用したりして興味を少しでも増すことができるようにした。しかし,日本にきて,自分の言葉で自分の意思を他人に伝えることができる楽しさのほうが優先しだした。そのため友人も多くなり,友人と遊びに行くことのほうが楽しくなり,放課後,補完教育をしていた時間ができなくなってきた。このまま,日本の義務教育だけで終わってしまうようである。しかし,学習が嫌いな子どもにとって,義務教育を終了してからも強制的に学習させられることは,このうえなく辛いことである。このように,日本にだけいたのならばなんら問題なく学校生活を送ったであろう子どもを,なんらかの実質的救済策をこうじる必要がある。

 

 問題のいくえ 

 海外にいる学齢期の子ども達に対しても,教育の機会均等上から学習の場を確保しなければならないことや,さらに,日本に帰国してからのことを考えて日本人学校,日本語補習校が設立されてきた。そのために日本人学校の設置地域には片寄りある。日本人の子ども達の最も多く滞在しているアメリカにはたったの二校しかなく,子どもの特性から考えて日本人による教育を受けたいと思っても,日本人学校に通わせることが不可能な地域もある。全ての子どもが一様に言語には嫌悪感を示さず,生き生きとして,違った言語でもマスターしようと頑張っていればいい。しかし中には,現実には言語に対して嫌悪感を持っていて,違った言語など絶対いやだという子どもがいる。このような子どものためにも,相手国にも配慮しながら,日本語で授業を行なう学校を設置したい。しかし,広い世界の中で全部の子ども達をフォローすることは不可能であるが,少しでも努力をする必要がある。また,保護者は日本に居るのであれば,子どもの面倒を事細かに見て,子どもを叱咤激励しながら育てているが,海外に出ると気が大きくなるのか,子どもの学習などにもあまり大きな関心を示さないで,保護者が自分自身の遊びに夢中になるケースがある。これは,あまり問題にされたて事はないが,かなりのケースが現実化している。この保護者の異文化間ショックによるものと思われている現象は,日本にだけしか生活したことがない人々には到底理解できない現象である。が特に,海外滞在年数の長い人々が子どもの教育に無関心になる傾向がある。こうしたことから,子どもへの手の掛け度合いが低下の傾向を示し,それに相対するように,子どもの中には,学習に気を抜く子が多くなってくる。その事に気づき,地域の現地校のカウンセリングの教師が学校に連絡を取り,学校に保護者として来校するように連絡を取ろうとしても,在宅しておらず連絡が取れないというケースも多く報告されている。したがって,子どもの成績があまり芳しくないのは,あくまでも一つの原因として保護者の関心の度合いもある。このように,子ども自身の問題もあるが,保護者のカルチャーショックも大きな問題であるから,保護者への対策としてのカウンセリングも必要になっている。ただ単に,学力だけを回復させれば問題が解決できるケースは別として,心に痛い傷跡を持ってしまった子どもへの指導はかなりの時間と,忍耐強さが要求される。したがって,日本から海外に出発する前の出国相談も大事なものになっている。この際,子どもへどのような教育を受けさせようとしているのか,家庭の教育方針にまで踏み込んでアドバイスをしていく必要がある。出発前は何かと忙しいが,子どもを持つ保護者として,子どもの教育に対しては適当な機関で適当な人にアドバイスを受けられるようにしてやることも大事である。

 解決にむけて 

 保護者,特に家庭を預かる主婦の方々に対しての方策を必要としている。気楽に,プライバシーの件にも気を使わなくてもよく,適切なカウンセリングが受けられるようにしてやることも必要である。その手立てとして,一般に余り知られていないが,在外公館には医務官が在勤している。この医務官に,できることならカウンセリングもできる医務官を任命していくのもよい方策である。この医務官などは海外では医療行為はできないのであるから,最初からカウンセリングのできる精神科の担当者でも良いのではないか。また,日本人学校だけではなく,諸国にある在外公館には,保護者,子どもに向けたカウンセラー業務を行なう部門を設置して行くことも一つの解決法になるのではないか。この事例は,ニューヨークという日本人学校があるところで生活していた生徒が,現地の英語による教育をする学校で,英語をまともにマスターすることが出来ずに在籍していたのである。このようなケースは,一人だけではない。幾人かの生徒が帰国後,能力的に学年を下げてくれという要望を出している。万人に利く即効的な解決策はないが,保護者が自分の子どもの能力を見定め,適当と思われる学校に勇気を出して転学することも重要なことである。それには,保護者が精神的に安定し,生活の基盤がきちんと出来ていることが大前提になる。したがって,心配な子どもを持つ保護者は,現地校のカウンセラーの先生とも常に連絡を持ち,子どもには関心を持ち観察を怠りなくしていることが必要である。