発 刊 に 寄 せ て

会長 伊 藤 民 男

1号巻頭言(1978年10月1日発行)

 時の流れというものは早いものである。教師の会が国立教育会館で発会式を挙げたのが五十年の一月六日であったから,既に足かけ四年目になるわけである.

 海外における邦人子弟の教育の問題は,主として在留邦人の手で進められていた。昭和三十年代の前半期であった.しかし,海外で国内法の及ばない所でも,ある程度は国が責任をもつべきであるという認識の高まりは,三十七年になって漸く文部省から派遣教員が出されるに至ってその方向を見い出した。

 派遣制度が実施されてから約十年間というものは,児童生徒数の増加とそれへの対応で,ある意味で関係者が最も困難を極めた時代であったかも知れない。派遣人員の枠にしても待遇にしても,現地の教育条件にしても,国内の経済的な高度成長とは裏腹に,海外子女教育の実態さえ,しかとつかめない状況が続いた。したがって国の施策についても甲論乙駁頻りであった。四十六年,財団が設置されて,格段の充実を感じたのが,実は近近のことのように思われるのである。

 しかしこのころから一般公立校からの派遣が活発となって教員派遣が全国的にみられるようになった.事後,二,三年の勤務を経て帰国した先生方が年々増えていった。

ここにおいて海外子女教育の普及充実に何らかの形でお役に立ちたい,特に先輩として何をなすべきか,貴重な海外勤務のメリットを国内教育にどう生かすべきか,真の国際人とは,いかなる内容を具備すべきものか,またその教育の在り方をどう探っていけばよいか,など,様々な問題につきあたったのである。

 これらのことは,どれも一朝一夕にして解決のつく課題ではなく,終局的には,私たちの熱意に満ちた同志が,全国的な組織をもって,根気強く,大海の潮流のように倦まず絶ゆまず,努力を積みあげていくしかない  というのが,結論と言えば結論と言えるのではないだろうか.

 しかしそれにしても,この貴重な経験,宝が,無策に拡撤されていくだけでは,誠に国家的損失といわなけれはならない。それが年々一〇〇〜二〇〇名以上に上っていくわけで,年一回の恒例の全国大会はもちろんのこと,各都道府県の組織をしっかり固めて,毎日の教育活動の中に何らかの形で生かされる研究が進められていかなければならないと思う次第である。

 今回の会報は,海外子女教育研究協議会としては,遅きに失したものであるが,会員相互の理解と会の目的速成のため有効な手だてとなることを期待して止まないものである。

(元パンコク日本人学校長)