企業に居て思うこと

           石川島播磨重工業叶l事部人材開発課長  宇佐見  房司

14号巻頭言(1983年2月1日発行)

この会報をお読みの先生方は帰京されて何年になりますか。私はブラジルのリオ・デ・ジャネイロでの約七年の勤務を終えて帰ってからもう五年になります。しかし,日中四〇度の炎暑の中でのクリスマスやお正月を今年も懐しく思い出しました。大晦日の夜,海岸で望郷の思いを込めて踊る黒人達の踊りの輪,タイコのリズム,それをとりまくろうそくの光,新年を告げる十二時の教会の鐘の音…。皆様の任地でのお正月はいかがでしたか。そして,今年のお正月は…。

 ブラジルから帰ってしばらくは,日本の四季の移りかわりがむしろ,気ぜわしく感じたものでしたが,近頃は四季折々,日本列島が自然に恵まれている幸せを思います。特に一年の内で最も寒い時期に新しい年の扉を開けることのできる幸せを。凛冽な大気の中での新しい年への誓いは身も心も引き緊るもの。寒気という舞台装置の中での「除夜の鐘」から「初詣」への切り換えの妙は,日本の風土に生きた私達の先祖の知恵を見る思いがします。「海外体験を仕事に生かす。今後の人生に生かす」と大上段にふりかぶりがちですが,案外,何でもないようなこんな「日本のお正月を見直す」というようなことに意味があるのではないでしようか.そして,ハッと思ったら,その新鮮な驚ろきや発見をその都度,子供達に話してやってほしいものです。私も「また,ブラジルの話か」と言われるほど,折にふれて部下や周囲にブラジルと日本の対比論を今までしっこくやってきました。それが違う世界を体験してきた者の義務だと思うからです。たとえ少数派であっても。

 私の現在の仕事の一つに企業内での「国際人育成教育」があります。国際人とは何か」という基本論も盛んですが,その要点のいくつかをあげれば,

(1)何といっても「仕事ができること」その業務のエキスパートであることが第一で,「日本で仕事が出来ない人が,外国へ行ってうまく行くわけがない」と考えています。その意味では,地道な向上努力が社会に出てからも絶えず要求されると言ってよいでしょう。

(2)「相手を理解し,受け入れること」,「異なる文化は,それはそれとして認めていくこと」

 先日,私の勤めている会社で在職三十年という方におめにかかりましたが,初対面なのに,最初から実にうちとけて話が弾むのです。こだわりがなく,力みがない。こちらの話も実によく聴いてくださる。そのうち,経歴に話が及び,三十年のうち二十

年は世界各国での現地工事で過したと聞きその秘密がわかったような気がしました。

 宇野重吉氏が舞台でのセリフの話し方のコツとして,「ふつうに言い,ふつうに聞け」と言っています。ごくふつうに卒直に話し.素直に聞くことが真実や誠意を伝えあうことになるのでしょうか。これは舞台の上のみならず,日常生活でも,海外でも同じことなのでしょう。

(3)そして(最後に?) 「語学力」があります。

 語学の達人即国際ビジネスマンとはいえないが,語学は充分条件ではないとはいえ必要条件の一の点については,努力不足であり,力なども含めて,一つでしょう。しかもこ

日本人は総じて極めてプレゼンテーション能力なども含めてまだまだ弱い,大いに努力の余地のある分野であると言わなけれはなりません。

 学校サイドでは,最近,国際理解教育や語学教育の改善や振興が叫ばれているようですが,これからの国際化.社会を考える時,まことに結構なことと言えましょう。しかし,「仕事が出来ること」が国際人の第一要件などという企業側から見たまっとうすぎる議論からしますと,基礎学力の向上,集中力,向上意欲などの維持,向上といった従来の学校教育に要求されてきた諸点を地道に培っていくというのが「王道なし」と言われる中での,実は王道なのではないかと思います。 最後に帰国子女について一言だけ触れてみたいと思います。

 先般,昔の修学旅行以来,二十数年ぶりで唐招提寺を訪れました。秋空の下に広がる金堂のたたずまい,雄渾な屋根の張り,二つの鵄尾の対時する緊迫感,円柱のハーモニーなど,建物全体の醸し出す雰囲気ののびやかさ,大らかさに打たれました。天平の人々は,大陸のさまざまな文物を,良いものは・良いとして認め,受け入れ,大和の風土の中に取り込み育んでいったのでしょう。彼等には,そうした「おおらかさ」があったのだと思います。私は帰国子女には,この「おおらかさ」があるのではないか,これを大切忙し育てることは出来ないかと思うのです。「おおらかさ」とは,柔軟なこだわりのない心の在り方を言うのでしょう。自分のものさしを唯一だと思わず他人が価値を置くものも,それはそれとして認め受け入れていくこと,自分も生かすが,他人の良さヽ認めていくこと…などです。これらが将官の国際人の要件となると思うからです。