世界を見てしまった子供たち

作家     春 名    徹

20号巻頭言(1985年2月1日発行)

 私は,江戸時代の漂流民のことを対象にして「世界を見てしまった男たちJ(文芸春秋社)という書物を書いたことがある。そのために,縞集部から「世界を見てしまった子供たち」という題を与えられた次第である。語呂あわせを考えてみると,江戸時代の漂流民と,海外経験をもつ少年少女の諸君にはたしかに共通点がある.その背景にあるのが,私たちの島国根性であるとするならば,事は笑い話ですませてしまうわけにはいかないだろう。

 第一に,強いられて外国生活をしたという点が共通している。漂流はいうまでもなく偶発事故である。親の職業上の必要から海外生活を経験することも,子供たちにとっては事故みたいなものかもしれない。いずれも自分の意志によらないで世界をみてしまった.しかし,そのあとを被害者意識でうけとめやのか,面白い経験を感じて好奇心にみちみちて周囲を眺めまわすのかで,事態はずいぶんちがってくるはずである.

 第二に,海外生活,つまりは異文化接触によって衛撃を感じたという点も共通している。もっとも,ともかくも日本人の親たちの保護の下にいる子供たちの苦労は,漂流民の苦労にくらべれば何ほどのこともない。かえって語学が出来ないとか,習慣がわからないから笑われはしないだろうとかいう現代の思惑の方が,裸の交流のさまたげになる場合さえあるかもしれない。

 江戸時代の漂流民の職業は,しばしば誤解されるのだが,漁民ではなく,舟乗り,つまり商船の船員であった。彼らは江戸や大阪を知っているので,ー般人よりは世間が広く,思考も柔軟だった。もちろん語学もできず,世界地理の知識も持ちあわせてはいない。だが,自分を救助してくれた中国,東南アジア,あるいはアメリカ,ヨーロッパの人々の前で堂々とふるまった者が多い.

 その基本には,たとえ肌の色はちがっても,人間と人間とは理解しあうことが出来るものだ,という熱い信頼があることを見逃がすわけにはいかない。

 第三の問題は,帰国後のことである。むかしも今も,最大の難関は,世界を見てしまってから後に生じる。宇宙ロケットにしても大気圏の脱出よりは,再突人のほうにずっと多くの困難がまちかまえているのである.

 江戸時代は,御承知のように「鎖国」の下にあった。この鎖国というのも,誤解されやすい言葉であるが,一応,要約してみるならば,国際関係を極端に制限した上で,少数の為政者だけが,海外情報を管理し

ていた体制であるということができよう。

 このような体制のもとでは,世界を見てしまったことは,それ自体,犯罪,とはいわないまでも,犯罪に近い危険な行為であった。だから外国船で長崎に送りかえされた漂流民は,きびしい取調べを受けた上で,役人つきそいで故郷に送りかえされ,二度と他郷へ出ないことを誓約させられたのである。

 外国で得た知識を活かして,たとえば自分の藩のためにヨーロッパ式の船を作りあげて船長になった,というような,どく少数の例外はあるが,せいぜい学者たちを相手に,外国での経験を一度だけ報告し,あとは飼い殺しに近い形で余生を送った人々が多い。

 日本の社会は国際化したといわれる一方で,経済大国のひとりよがりがなせる業か,ー面では独善的で,文化的鎖国状態があるようにみえる。

 わが,世界を見てしまった少年少女諸君も,その意味では苦労が多いことだろう。せっかくイギリスで暮したとき身につけたオックスフォード風発音をすると東京の中学校では同級生からぶりっ子扱いをされるので,わざと日本式英語の発音をしているという子供の話をきいたことがある。受験制度が異様に発達した日本の学校制度に再適応することにも朗報は多いと思う。

 ただし,そういう困難をどういう態度で受けとめるかによって,解決の方向はずいぶんとちがってくるように思う。 管見の範囲でいうと,不満が,より多く被害者意識の方向にむけられているようにみえることが気にかかる。−帰国子女の教育に,国家や学校が無関心である,何もしてくれない‥等々。

 日本の状況を固定したものと考え,そこに自分をあてはめることだけを考えるよりは,自分も変わりつつ,相手も変えることを考えてみた方が,面白いことは確かである。

 本来,受験を中心においた日本の教育の状況は異常であり,日本の大学教育は世界最底であることは論をまたない。−それは,何らかの意味で変わらなければならないし,帰国した少年少女諸君が,そこに異常を感じるのは,むしろ当然のことなのだと思う。それなら,自分が日本式英語を話す道よりは,クラス中をオックスフォード・イングリッシュにしてしまう道の方が,追究する価値があるだろう。理想論,といわれるかもしれないが,理想はつねに,現実は変わらないという前提にたつ現実主義よりはましな筈である.