アメリカの日本人学校を訪ねて

           国際基督教大学教授  星  野    命

21号巻頭言(1985年7月1日発行)

 昨年の五月下旬から6月中旬にかけて私は米国内のいくつかの日本人学校を訪ねた。ワシントンDCの補習校(田中忠夫校長)を皮切りに,ニューヨークはフラッシングにある全日制日本人学校(磯貝 登校長),シカゴ双葉会の全日校(張能正校長)および補習校(山下久夫校長)ロサンジェルスの国際学園(原忠男園長),ホノルルのレインボー学園補習校(福田和夫校長)を訪ね,授業などを見学させていただいたほか,一部の先生方や運営委員会・事務,PTAなどの責任者ともお会いしてお話をうかがった。またニューヨークの補習校,ロサンジエルスの補習校を含む各学校の実状の一端を知る上で参考になる資料を入手して帰国した。 在米中から健康を害し,帰国後約二か月は発熱など気管支炎の症状が続いて病院通いをしていたため,きちんとした報告書や各校に対するお礼状を書きそぴれた所が出てしまい,当時快よくお会い下さった方々のお名前を思い出すたぴに心苦しく,また感謝の気持でいっぱいである。

 あの折の各校において「海外子女教育」に取組んでおられた先生方の姿は,わが眼に未だ鮮やかである。派遣教員の先生方が,数の上では勝る現地採用の教員の中で,いくたの困難と闘っておられたこと,また正科と課外活動を通じて日本の情勢のみでなく,現地文化の摂取をすすめるプログラムに取組んでおられたことに深く印象づけられた。

 現地採用の先生方や父兄の中には,私が勤務する大学の卒業生も混じっており,健闘を喜び,またそれぞれの学校と現地の状況について,さらに理解を深めた。

 このような訪問によって,私の脳裡には少しずつ次のような仮説的イメージが植えられ,それが確かなことかどうか,これからの検討を必要とすることになった。

一,「海外子女教育」は,アメリカ一国の場合を例にとってみても,日本人学校の所在地や運営の母胎となっている団体の構成によって,また児童・生徒の保護者の社会的背景や,教師集団の構成と指導力の水準に応じて,それぞれに多様・個性的なところがあって,それらを一まとめにした一般論をのべることは危険をともなうので慎しまなければならない。 二,それにもかかわらず,ニューヨーク,ロサンジェルス,シカゴなどの巨大都市の場合,日本人の居住地区が分散しているために,立地条件というか,全日制校への通学

のために要する時間と学校側の配慮には過大なものがあり,分校を設けている補習校の中から,第二の全日制校をという声もある。ただ,その実現については現地および国内にも賛否両論があろう。

 三,補習佼の場合,全日制校に比べて通学の便こそ少ないが,教師の数を確保することと,その「教育者意識」ゃ「指導能力」の大さな隔たりにどのように対応してゆくか,校長や派遣教員の先生の直面している困難の大きなことがうかがわれた。

 四,派遣教員の先生方の中には,赴任前に準備し予想していた現地の状況,特に教材,教育機器の整備状況,現地の言語生活に大さな隔たりを感じたり,また既に長く現地生活を体験している他の教員の(文化変容の結果としてか,その人の性格かは別として)自己本位の考え方行動にとまどったりショックを受けた例が少なくない。

 五,児童・生徒については,一年間を通じて転出入が激しいことが海外子女教育の特徴であろう.また帰国した児童・生徒から個人的な来信はあっても転出後の教育研究上のフォローアップは,どの学校でもなされていない。したがって,「海外子女教育」の効果の評価は,帰国子女を受け入れた学校においてしか行われていない−。これは海外日本人学校のこれからの課頻であろう。

 過日福岡市で開催された異文化間教育学会の第六回大会で聞いた自由研究発表のうち,「在ニュー∃−ク日本人子女の異文化体験」(国枝マリ氏)と「在外教育施設派遣教員と異文化体験」(野田一郎氏)とが私の関心を揺さぶった.その理由は,子どもにせよ教員にせよ,日本人の異文化接触の体験は,全日か補習校かのいずれに属するかによって非常にちがうこと,また「カルチェア・ショックの中には,現地で出会う同国人,つまり日本人から受けるショックが含まれていることである。たとえば国内の学校体制では抑えられ控えてもいた「教育相互の不信とエゴイズムの噴出」を体験した教師の場合。しかし他方で「他を許すことが他を生かすことにつながる,という校長の指導に敬服した」とか,現地社会での体験を通じて日本人以外の人間の考え方が自然環境と長い歴史の中で培われてきたことが理解できた」という回答も紹介されていたので少しホッとした。

 今後の教員派遣計画・訓練には,現地文化を十分に理解した前任者の経験や研究者の報告をぜひ生かして欲しいものである。