教育の原点としての海外子女教育 東京学芸大学海外子女教育センター長 藤 原 喜 悦 |
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23号巻頭言(1986年2月1日発行) | ||
海外子女教育センターは全国共同利用施設として東京学芸大学に設立されて八年目に入っているが,皆様方の御協力にょって次第に充実発展して来た.国家財政が大変きびしい時期にもかかわらず,毎年多額の事業費をいただいて,われわれのセンターはさまざまなプロジェクトを設定し,多くの方々の御支援と御協力を仰ぎながら鋭意努力を重ねているが,海外子女教育は正に教育の原点であることを,改めて痛感している. たとえば,エジプトのカイロ日本人学校で冨田壽人教諭は,ハムシーン(砂嵐)や霧の発生は決して突然なものでなく,自然の中で一定の条件がみたされると起る現象であることに気づかせ,乾燥砂漠における既成概念を砕き,新しい視点で現象,事象を捕える力を子どもたちに養おうと努力された.また,オーストラリアのメルボルン日本語補習校では,外国人児童生徒を対象とした日本語学級を設置したり,永住者の子女を対象とした国語教室を設置したりして,熱心に教育にとり組んだことが平崎真人教頭によって報告されている。 このような優れた教育実践は,教育というものが,常に眼の前にいる子どもに対して,現在置かれている環境に即して絶えず柔軟に適切に行われなけれはならないということを,端的に示しているといえよう. あるいはまた,日本の子どもがアメリカの公立学校に入学すると,担任の教師がやさしく受け入れてくれ,個別的に語学指導を熱心にしてくれるので,時間が経過するうちにスムーズに学校生活に溶けこむことができたという.こうした,いわば当り前のことがどく自然に行われていることを知って,教育は教師が愛情を持って熱心に子どもを指導することにつきると,今さらのように思い知らされるのである. したがって,海外における日本の子どもたちが,どのような教育を現在受けているかを虚心担懐にみつめることによって,教育はいかにあるべきかが鮮明に見えてくるということができよう. 日本の学校に較べて海外の日本人学校や補習学校はさまざまな制約や困難があることはいうまでもないが,他方,そのような問題に直面することによって,教育はいかにあらなければならないかを根本的に検討し,真にあるべき教育を実現する可能性が出てくるのではなかろうか. 最近教育の国際化とか国際人の育成とかか声高らかに |
叫ばれるようになったが,何よりもまず海外の各地において現に教育を受けている日本の子どもたちが,たくましくすくすくと育っていくことが,そのような課題に答える出発点であることを明確に認識する必要があろう。そして,日本人学校や補習学校において子どもたちを教育しておられる多勢の先生方こそ,教育の国際化や国際人の育成を担う中核というべきであろう. したがって毎年文部省から海外に派遣されている研修派遣の教師は,これからの国際交流時代の日本の教育を積極的に推進するという,大きな使命を持っていることを自覚していただきたい.つねづね痛感していることであるが,三年間という長い期間を,一つの研修テーマを持って外地において過すことができるということは,本当にすばらしいことではなかろうか。 中国に,「三年経てば呉下の旧阿蒙にあらず」ということばがあるが,常時千名以上の先生方がみずからの研修課題を持って教育実践に専念するならは,それぞれの先生方自身の発展は正に眼を見開かせるものがあるであろうし,また指導を受ける多くの子どもたちにもきわめて大きな影響をもたらすことであろう. さらにまた,このような優れた教師が多くの子どもたちと海外生活を送り,現地の人びととゆたかな交流を重ねていくことにより,日本人の真の姿を理解してもらうことに大きく貢献するであろうし,また現地の人びとに対する日本人の理解を深める上にも大いに役立つことが期待されよう。 教育にたずさわる人びとが,教育を中心にして外地においてこれ程多く,しかもこれはど長期間生活するということはこれまでの日本人にはかってなかったことである.こうした意味で,研修派遣の先生方は正にひとりひとりが文化大使であり,また,海外において学ぶ日本の子どもたちはひとりひとりが親善大使であるといえよう. このようなことからわれわれは,海外子女教育を単にたまたま外国に出かけた人びとの子どもたちの教育として個人的なレベルだけでとらえるのではなくして日本人がこれからの時代においてよりよく生きていく上で避けて通ることのできない,国際交流化時代を担う人間の教育としてとらえなおさなければならない。 したがって,教育の原点として海外子女教育を位置づけ,二十一世紀をめざしてより大きく発展させるために,ともども歩んでいきたいと切望する次第である。 |