成績の悪かった私

太平洋学会理事長・水中古学会副会長   茂在 寅男

27号巻頭言(1987年7月21日発行)

 少なくとも「子女教育研究」という字が表に出ている「会報」に,私の拙文を載せて頂くなどという事は全く恥ずかしさに堪えない話である。教育する側から見た私というものは,成績の悪い困った「子」であったのは事実だったからである.そしていたずらばかりする問題児だった事も認めざるを得ない.

 しかし七十三歳になる今の私に一言だけ弁解の機会を与えて頂くならば,私は他の同級生達に比してオクだったといえよう.小学校の時は二月生まれの早や生まれ生徒で体も小さく,遅そ生まれ生徒と比較したら兄と弟ほどに差があった.当時の旧制中学へ進むことは,田舎では六年からストレートで入学出来るのは全クラスの三分の一に過ぎなかった。そのため私は中学では同級生と更に差がついてしまって,遊ぶ友達の殆どが二歳から三歳年上の同級生ということになってしまったのである.彼らと差がついてしまうのは基本的にも条件がそろっていた.成績も当然ながら殆ど末席だった.

 私は子供の時に船を見る機会があったことから海に憧れていた.そのため学校で志望校調査をした時に,私は何の迷うこともなく「商船学校」と書いて出した。ところが先生に呼ばれた私は,「どこの学校を意味しているのだ」と聞かれた。「東京です」と答えると,先生は「東京なら高等商船学校だろう」というので,「ハイそうです」と答えた所,先生は私の目を下げすむかの様に見て,「君がか・・・」と一言いって後だまった。

 当時の東京高等商船学校というのは物凄い競争率で,トップ中のトップしか入学は出来なかった。しかし私も小なりとはいえ「男」のつもり。先生の発した一言「君がか!」にはグッと胸に来るものがあった。この時私は心から「今に見ていろ僕だって−」と心の中で叫んだ。私が小学校の読本で覚えたこの言葉は,私の一生を励ます言葉となっていた. 今の私はここまで筆を運んだだけで,目に涙がうるんで来るのを感じてならない。「今に見ていろ僕だって!」私はその日から両親の了解を得て,倉の中に住む事にして床板の上に布団を敷いて寝る事にし,猛烈な勉強を始めた。これは意外と長期になってしまい,当時春秋二回の入試があった東京高等商船学校にアタックし,他のどこも受験せずに頑張って,希望の“同校(現在の商船大学)航海科に,やっと入学できたのは五回目だった。すなわち私は丸二年の浪人を続け,その間,倉の中でのガムシャラ勉強をやり通したのであった。合格通知の電報を手にした私は,家族の前で大声をあげて泣いた.それは少年時代の最高の感激の日となった事はいうまでもない.

 その時点では私は,あの先生の青葉の「君がか・・・」について,心の中ではひそかに「これで思い知ったか!」とやり返えしていた事は事実であった。

 しかし七十三歳になった今の私には,あの時先生があの様に言ってくれなかったら,私の若さの奮超はなかったのではないだろうか,と感謝の気持ちで思い出す。

 更には,先生の気持ちでは,私の性質を見抜いていて,ひそかに奮起の機会を作ってくれたのではないか,と心から感謝の気持ちを持つ様にまでなって来ている.高船に入学した私は,魚が水を得た様に活気を取り戻した.あの厳しい上級生の辛い日常,それはすべて私に取って楽しかった.辛きとは楽しい事である事を知った学生生活であった.

 それでも入学した時は,しがみつく様にして入学できた身であり,クラスの中では成績は最下級に属していた.ここでも私は「いまに見ていろ僕だって!」を胸の中で繰り返えしていた.成績は遅々とした状態ながら,それでも一歩一歩上向きになっていた.それに何よりも私に取って商船学校のギビギビした生活は最高に楽しいものであった.成績こそ中位であったが,しつけの厳しい同校では成績点のほかに人物点というのもあったが,私は「最優」という点をつけられた時,「この学

校の先生方は私を理解してくれている!」の感を深かくし,益々勢付いた。お恥ずかしい話ながら打ち明けると,遂に卒業試験の成績は一番だった。それが私の学生々活の花道を飾った。

 さて私は,自慢するためにここに筆を取ったのではない.教育者ともあろうものがこの様な事を筆にすれば,そのことだけで人にさげすまれる事を百も承知である。自慢などとは全く逆な結果しか得られない事を承知の上である。それならばなぜそんなことを筆にするのか,疑問は誰にも起きよう。

 答えは唯一つである。私の恥をさらすことによって,読者の中の一人でも「今は成績の悪い私だが」「今に見ていろ僕だって!」と気持ちを超こしてくれる若人が出てくれたら,とそれを望むからである.かって私は或る自著のあと書きに次の様な事を書いた事があるのでここに再録させて頂く。

 長い教授生活の中で,私はいつも「落ちこぽれ学生」の味方だった.その種の学生を,どれほど立ち直らせ,結果として私よりも遙かに立派に育て上げたか知れない。この本(ある自著)を世に送ることによって,「どん底から立ち直る若者」が,一人でも出てくれれば・・・という私の気持ちである.

 最後に自作の詩をのせて筆をおきたい。

「若 き」

(1)若きとは 不死身のからだ 鉄の腕

 負けじ魂 ど根性

  打ちのめされて 倒れても

  なおむっくりと 超きる力だ

 砕けても また打ち寄せる

  磯の怒濤だ

(2)若さとは エネルギーだよやる気だよ

 バイタリティーだよ 闘志だよ

  抑えられても 封じても

  なおほとばしる 熱き血潮だ

  渦なして 満ち上げて来る

  潮の流れだ