国際理解をすすめるためには

放送大学教授(文化人類学) 祖父江 孝 男

28号巻頭言(1987年12月20日発行)

昨年,私どもは日本人の変化ということについてシンポジウムを行い,その結果を最近,本にまとめたのだが,そのセクションのひとつが「日本人の国際感覚」と題するもので,この分野の専門家,金山宣夫氏が次のように述べている。

 「ひところは日本人の海外旅行者というと黒装束のビジネスマンで代表されたが,今日はTシャツ姿の若者が幅をきかせている。今の若者は,先輩たちとは違い,肩肱はらず,ものおじせず,そのかぎりではたのもしい。しかしそれはとりもなおさず,ういういしい緊張感と感動性を失い,たかを括ったような,なれなれしさを身につけているということでもある。閉鎖特殊主義的な論理と態度は鎖国時代からさして変っていないように見える。外国で日本料理を食べ歩き,観光バスに乗るとすぐにマイクをとって演歌をうたうというワンパターンも,老若男女共通している。現地の人たちと全く対話なしで,一緒に写真だけ撮ってくるというのも同じである。」

 これに対して人類学者の片倉もと子氏は次のようにコメントを加えている。

 「基本的にあまり変っていないという見解は私も同意するところです。恐らく日本人のなかで最も変っていないのが国際感覚ではないかと思うのです。なぜ変らないかと言うと,日本社会自体の構造的な特質があげられるかと思います。日本は「内と外」という概念を非常に強く持っている社会だからです」(祖父江孝男編『日本人はどう変ったのか』日本放送出版協会,NHKブックス,昭六二)

 国際理解とか国際交流とかの重要性が叫ばれ始めてから随分久しい筈だが,それでいてあまり成果があがっていないのは,既に上記のお二人が揃って指摘しているように,日本人の閉鎖性,「内と外をはつきり分ける考え方」によるとみてよいだろう。

 私自身は日本人のヨコの人間関係を「ヨコのむすびつき関係」と「ヨコのひろがり関係」という二種に分けているのだが,前者は知合った者同士,つまり仲間,友人,知己同士の関係だが,後者は知らない者同士,つまり大衆公衆の一員同士の関係だ。こうして分けてみると,日本では同じヨコの関係でも前者が非常に強いにも拘らず,後者は大変に弱いことがわかる。電車の席につく場合でも,知合った者同士だと互いに譲り合い,極めて礼儀正しいのに,知らない者同士だと甚だ不作法な関係となる。

つまり日本人は無意識のうちに知合っている者同士とそうでない者とをはっきり分けるのであり,これがすなわち閉鎖性で,「身内とよそ者」はおのずから分けられてくる。派閥とかナワバリというものもここから生まれたものに他ならないが,こうした「身内・よそ者」章識のために,「われら日本人」「彼等外国人」という感じかたとなってしまう。

 国際化を妨げているのはまさにこうした感覚,つまり少しでも異質な慣習を持った人には耐えられないという感覚なのである。

 帰国子女に対する反発やイジメを生み出しているのもこうした心理的特色だということがわかるのだが,こうして見てくると,なにより大事なのは閉鎖性の追放であり,この点は日常の教育の場におけるちょっとしたしつけによって,相当程度可能ではないかと思う。例えば最近私の訪れた栃木県のある中学では,見知らぬ訪問者に対しても,すれ違う教師と生徒の誰もが必ず「今日は!」と大声で挨拶をしていたのが非常に印象的だったが,こうした「見知らぬ人への挨拶」は閉鎖性をうち破るための第一歩となりそうに思うのだ。

 なお帰国子女のことが出て来たついでに,これまた上記のシンポジウムの討論における人類学者・箕浦康子氏の次の発言を紹介しておきたい。非常に考えさせられる問題提起をしているかちだ。

 「外国経験がある,イコール,国際感覚があると自明の論理のようにマスコミでも論ぜられています。しかしロサンゼルスにいる頃から一〇年間,海外で成長した子供たちを追跡調査してきた私自身の印象からみて,そういう常識にいささか疑問を抱くようになりました。財界人たちが国際人の資格と言うときに必ず出てくるのは,外国語が出来て,バリバリ仕事ができてということで,それはインターナショナリズム・アズ・ア・フォーム・オブ・ナショナリズムなんです。日本の国益を担ったかたちで国際舞台で活躍しているという意味です。しかしもうひとつもっと大事なのはインターナショナリズム・アズ・ア・フォーム・オブ・ワールド・マインデドネスで,意識が国の境界を超えて拡がることです。これは在外経験なしでもできるのであって,アフリカの飢えの問題などに対してどれだけ共感できるかという問題です。帰国子女の人たちを面接してみると,上のふたつのうち前者の意味での国際化は大いにあると思います。しかし他人の痛みがわかるとか,文化を越えたところでのセンシビリティがあるかということになると私は今,非常に悲観的な感じです」(祖父江編,上掲書より)。