単身赴任者からの一提案

                  ニコン・アメリカ社長 今 川 吉 朗

31号巻頭言(1988年12月1日発行)

二度目のニューヨーク勤務のため単身赴任中の私を,大学3年生になった長男が訪ねてきた.コネティカットにある大学の英語の短期コースに参加するための訪米であったが,彼にとっては,6才から11才までの5年間を適したニューヨークヘ,はじめてのホームカミング(帰郷)であった。

 ケネディ空港に着くなり,「むかし住んでいたところに行ってみたい。」と言うので,クィーンズ区の,かつて家族で住んだアパートや,毎日通った小学校のあたりを案内した.街角や小さな公園ごとに車を降りて見まわし,幼い頃の記憶をたどっては立ちつくしていた。

 アメリカに住んで,近所の学校に入った時も,そして帰国して日本の学校に入った時も大いに苦労したこの長男にくらべると,次男の方は年令が低かったせいもあろうが,実に器用に適応していった。

 その次男はいま高校3年。来春の大学受験を控えてねじり鉢巻の毎日である。精神的に不安定で悩み多い時期でもあり,そばにいてやれない父親としては何とも無責任で申し訳ないと思う。電話の向うで妻が,「家庭内暴力が起きていないのが,もっけのさいわいと思ってください。」などと言い放つのに対して,返す言葉もなく,ただただ黙ってしまうばかりである。

 諸外国との貿易摩擦や債権・債務のインバランスが論じられるようになってから,日本の輸出活動はともすると批判的に見られ,特にここ1年はどは,いわゆる内需振興による経済拡大の前に影がうすくなってはいるものの,今日の日本経済の発展の礎を築き,牽引車となってきたのが輸出であった,と言っても過言ではないと思う。そして,その輸出活動の最前線で重要な役割を果たしてきたのが企業の海外駐在員とその家族であった。 先人達の話を聞くと,海外駐在員たちは時代とともに,それぞれ人知れぬ苦労を経験してきたようである。外国語からはじまって,慣れない生活やビジネスの羽日慣,いわれのない偏見,などなどそして現在最大の問題のひとつとなっているのが子女の教育であろう。客観的な統計を見たことはないが,ちなみに40才から50才までの中堅海外駐在員をとってみると,経験的には,その過半数が子女の教育を理由に,いわゆる単身赴任を余儀なくされているのではないかと思われる.

 個人と家族の生活をまず第一に考えるアメリカ人達に,「なぜ家族と離れて何年もひとりで暮らすのか。」とたずねられて,これを説明して納得してもらうのは容易なことではない。本来きわめて個人的な

事情なのだが,日本人の価値観,画一的な社会,

受験競争の厳しさなど,社会事情まで汗だくになって説明しても,相手は納得してくれない.「そんなに教育が大事なら,子供をハーバードなりスタンフォードなり,アメリカの良いとされる大学に入れればよかろうに。それともアメリカの大学はレベルが低いとでも言うのか?」と,うかぬ顔,あるいは「失礼な/」という顔をされてしまうのがオチである.それはどに彼らの感覚からすれば,日本社会の「有名大学,二流企業志向」,そしてそのまわりまわっての‥結果である「単身赴任」という現象は,非人間的,不合理で不可解なものなのである。

 日本の社会に「一流大学へ,そして有名企業へ」という価値観(あるいは脅迫観念)が支配的に存在すること,そしてこの価値観が社会に大きなひずみをもたらしていること,さらには,国民一般も,企業も,学校もその傾向を助長しており,それぞれに一入任の一‥堵を負っていることは否定できないと思う.この観念のよってきたるところを社会学的に分析・検証したり,これを是正する方策を論述することは専門家に委ねることとして,一市民としてひとつだけ,具体的で実行可能な提案をしたいと思う.

 それは例えて言えば,結婚披露宴のときの例の「新郎は○○大学を優秀な成績で卒業し,ただちに××株式会社に入社,云々」という常套文句から,○○及び××の部分をやめる,ということである。自己紹介や他人を紹介する際に,会社名や卒業した学校を述べるかわりに,「私は機械工です。」とか,「△△さんは経済学を専攻されて,いまは企業会計をやっておられます。」という習慣をつくること。そして紹介を受けた方も,次にたずねたくなるであろう「どちらの会社ですか?」「どの学校ですか?」という質問を,ダッと飲み込んでしまうことを社会の礼儀・習慣として定着させることを提案したい。

 何を仕事としているかよりも,どの会社に勤務しているか,そして,何を勉強したかよりも,どの学校を卒業したか,の方が優先するというのは,考えてみればおかしなことである.いわば,企業や学校が個人の人格を代弁してしまっていることにはかならない。日本人全員が,勤務先や卒業校よりも,自分が何であるか,何をする人であるか,を重要と考え,価値と誇りを持つょうになれば,日本はもう少しだけより良く,住みやすい社会に近づくと思う.何とも異様な受験戦争に代表される社会のヒズミをなくするための第一歩として,我々ひとりひとりが今日からでもできることを提案してみたのだがいかがなものであろうか.