飛び出てゆく子女

                同志社国際中・高等学校前校長 山 本 通 夫

32号巻頭言(1989年1月21日発行)

 「子どもたちのことで相談にのってほしい。意見をきかせてほしい。」そんな電話が0氏夫人からあった。

 0氏夫妻はともに,むかしの教え子である。0氏夫妻には,中学校三年生の男の子と小学校六年生の女の子とがあり,その子どもたちのことをきいてほしい,適切な助言がほしいというのである。

 0氏は,A電器メーカーの中堅社員,そして,0氏の家族は,一年前,それまで五年半あまりを過ごしたアメリカ中西部のある町から帰国してきた。現在は,京都市内に住んでいる。0氏の子どもたちは,まさしく帰国子女なのである。

 約束した日に,時間通りに0氏の家族がにぎやかにわが家を訪ねてきた。三年前,アメリカ出張中に0氏宅を訪問したとき以来の再会である。ふたりの子どもたちが,ひとりの青年とひとりの少女にすっかり成長しているのに驚かされた。 国内の中学校や小学校での生活についてたずねてみたら,別に,困ることも,問題もなく,毎日を楽しく過どしているということであった。

 0氏の家族が住んでいた町には,日本人学校がなかった。子どもたちは,「現地校」で学んだ。学校では「現地校の教育」,家庭では0氏夫人のきびしい「日本人学校の教育」の五年半を子どもたちは過ごしてきた。その0氏夫人の「子育て」の成果が,いま,ふたりの子どもたちの帰国後の生活の中に生きてきているのだと思わされた。

 世間話しをし終ったあと始まった0氏夫妻の相談事は,ふたりの子どもたちの進学・進路についてであった。

 子どもたちには,ひとりひとりに備えられている天来の賜物が十二分に生かされ,本人たちの志望と,子どもたちの父母としての0氏父妻の期待と願望とが,ともにかなえられる,そのような路をそれぞれに歩いていってほしい。子どもたちひとりひとりともよく話しあい,夫妻もおたがいにじゅうぶん考えあった.よくよく話しあい,考えあった上で,男の子は,アメリカのハイ・スクールヘ,女の子は,国内のKインターの中等部へ進学させることに決めたというのである。

 男の子の場合,いま在学中の公立中学校の担任からは,公・私立を問わず,どの高等学校にでもまちがいなく進学できる,まったく心配ないと言われているのだそうである。

しかし,本人は,英語で読み聞きし,英語で考え,英語で話し,書き,英語で創る,そのちからの学習をとおして全人格を養い育ててくれる教育のある学校で学びたい,生活したいと熱望するのである。将来,どんなコースを選び,なにを専攻するようになるのかはわからない。しかし,そのような学校でひとりの人間になってゆきたい,成長してゆきたいというのが,本人の願いなのである。

 本人が望むそのような学校は,国内にはない。「アメリカ」へ進学するしかないのである。

 女の子の場合も同じで,Kインターの中等部を終えたら,「アメリカ」へ進学することになるのだというのである。 なんの異論もなかった。賛意を伝え,子どもたちに激励の言葉をおくった.

 二時間ばかり言いたいことを言いたいだけおしゃべりして,0氏の家族は,来たとき以

上,にぎやかに帰っていった。 郵便受けからとりだしたクリスマス・カードを整理していたら,なかから,こんな内容の葉書が出てきた。

 お元気でお過どしのことと思います。入学してから,まだ一年にもなりませんが,Yを連れて,再びオーストラリアに帰えることになりました。主人の滞在期間が,なお,長びくこととなり,家族で何度も話しあいをした結果,Y本人の思い・決断にしたがって,そうすることにしました.一月八日に日本をたちます.ありがとうどざいました.−

 父親だけを,単身赴任者として残し,家族みんなと帰国,やっと国内での生活にも慣れはじめてきたばかりだった。

 帰国子女受け入れ専門校としての学校で仕事をするようになって,はや十年になる.その間に,なにもかもが,根本的なところで,ひそやかに,少しずつ変化しつつあるように感じられる。

 なかでも,海外子女や帰国子女たちの日本国内の教育に対する理解と対応に,かなりの変化が起こりつつあるようである。海外子女や帰国子女が,日本国内の教育にあまり執着しなくなりつつある。日本国内の教育から離れ,海外の教育のなかに,さらに積極的に飛び込んでゆこうとする動きが,かなり多くみられる。それへの判断とあり方が,「教育」の根本に根ざすところのものからであるだけに,すばらしい変化だと喜んでいいのではないか.

一九八九年が始まった.よき変化の月日であることを祈願している。