国際環境の変容と国際理解教育

 埼玉女子短期大学学長 早稲田大学名誉教授 山 岡 喜 久 男

35号巻頭言(1990年2月1日発行)

過ぐる年の世界的規模での激動はなお続行中である。私自身も,その変動の一象徴となったベルリンの「壁」の通過地点を往復した日々のことを夢のように追想している。そこでこのさい国際理解教育の方向性について少しく思いを致してみたい。こうした国際的激震と混沌のなかで,私たちに,国際理解教育のための新らしい課題が与えられ,教育上の決断が求められているように感ぜられる。それは,一言でいえば,こんど世界的平和秩序の再構築の話題をふくんで国際理解教育の再検討とその教育的伝達の情熱についてである。それは,なお残る不透明さや混沌のなかでの一模索に過ぎないものであろうが,その若干の要素的項目を提示してみたい。

 第一。主権国家の枠組みを超えて,民衆の底辺から湧きあがった人間の自由への喝望と追求の世界的意義の再評価である。人間の生きるさいの最重要,不可欠の要目たる自由について思いを潜めたいと思っていたさい,いま手もとにある西独の「シュテルン」誌臨時増刊は,平和的十一月革命を記念する「ドイツ・限りなき歓喜」 (Deutschland Grenzenlose Freude)という標題で編まれている。この 「グレンツ」というのは,ただちにチャ」リー検問所を思い出す国境線のことだが,それを巧みに言い換えた表現である。

 ところで,自由や民主主義を手に入れるのに,死闘してきたきびしい市民革命の体験をもたない日本の次の世代に,かの狂わしいまでの歓喜の深さをどう知らせることができるだろうか。この失せた自由の回復の意味を徹底的に真剣に教えつづけることの重要性は決して強調し過ぎることはないだろう。

 それは,最近,教育界で強調されている個性化,個別化への教育のための大前提でもあろう。「ひろい心」,「健やかな体」,「創造力」を目標としてとくに強調し(臨教審),総体的に,「心の教育」を重視するなちば(「新学習指導要項」),その根底をなす精神的自由と自立の確保は,国際理解教育の最優先事項となるべきものと思われるからである。

 第二。世界的規模の変革の主役が,既存の法制的政府組織によってでなく,民衆自体,いわゆる非政府組織(NGO)によって導かれたことが注視される。かのポーランドの「連帯」,ハンガリーの「民主フォーラム」,東ドイツの 「新フォーラム」,チェッコスロバキアの「市民フォーラム」などがほぼこれに類するものとしてあげられる。

これは,その規模と効果において,これまでにみられなかった著るしい特徴をなすものである。

 第三。今次の社会変革の波動の大きい特徴は,反体制運動が非暴力(non-violence)を手段として広汎に展開されたことであろう。もともと非暴力主義は,インドのM・ガンジーにその起源をもち,

米国のM・ルーサー・キング牧師が黒人解放運動にこれを適用し,最近では,フィリピンでも非暴力戦述で独裁政権を崩させ,韓国でも非暴力行動で,十余年の独裁政権を崩壊させ,あからさまの軍政統治を終らせた。しかし,今回はこの思想と実践が東欧で広汎に開花したことが新しい特徴として注目されよう。ポーランドの「連帯」による合法的,非暴力的な活動による自由化,民主化の進展,ハンガリーの,西欧型社会民主主義をモデルとしての非暴力的方法による複数政党化への前進を先躯として,東ドイツで初の反体制派「新フォーラム」を中核とする非暴力的な改革要求のデモがついに 「壁」を撤去せしめるに至り,チェッコにも民衆の非暴力的市民革命を誘発させた。反体制派のr市民フォーラム」は,第二のプラハの春を甦えらせ,複数政党が実現されようとしている。 ルーマニアでは,権力側の強固な専制的,暴力的装置によって,民主化要求が阻まれて,悲劇的な混乱を呼んだが,東欧全体の民主化要求の非暴力的展開は,全体としては,静穏,かつ堅調に進展したものと判断される。これは著るしい特徴である。

 第四。かつてK・マルクスは宗教は民衆の阿片だと批判したが(一八四四年),今回の東欧の政治変革にさいし,とくにカトリック教会が強力に前進的役割を果した。教皇ヨハネス・パウロス二世とゴルバチョフの会見にみられる和解への協力的姿勢は,こんどの宗教の新らしい役割の積極的側面を指示しているものと言えよう。世界秩序の再構築に占める宗教の役割に注目したい。

 第五。民主的変革進渉に大きい影響力をもったのは情報化の速度と拡大であろう。これは省略するがJ前掲のすべての要因は,平和的世界秩序の再構築に関わっており,国際理解教育の斬らしい課題とされよう。日本の戦後教育においても,国際理解教育の出発点は平和教育であり,ユネスコの,平和教育を国際理解教育として位置づけた。「真理と平和を希求する人間育成」(教育基本法前文)の責任は,一そうの重さを増すことが予想される。