帰国子女の大学受入れの変遷

桜美林大学国際学部長 筑波大学名誉教授  井 門 富 二 夫

36号巻頭言(1990年7月20日発行)

 日・米・英で大学教師として働き,そんな体験を背景に,政府留学生選考委員やフルプライト理事など様々な国際交流機関の役員を,継続して勤めて三十年も経った。この頃は津田塾・東大・筑波・ICUなどで教えた元学生・院生の子供達が,帰国子女あるいは留学生(外国籍学生)として,続々と大学に挨拶にやってくるが,孫をむかえる祖父のように悲喜こもどもに彼らの体験話に耳をかたむけるこの頃である。

 帰国子女問題を,大学教師の視点に限って眺めてみても,この三十年の間に,十年一区切で著しい変化が観察される。一九六〇年代すなわちヴェトナムで戦争が頂点に達し,大学で学生騒動が燃えさかっていた頃は,欧米の大都市たとえばニューヨークでも,駐在員の数も限られ彼らの子供達は欧米の学校に融けこんでいて,私達を右往左往させた問題は,文化不適応で悩むその両親達の世話であった。ただその時代の後半から帰国してくる子供達の,小・中学校や高校での再入学や帰国後の不適応が話題になり始めていたが,帰国する企業マンの大都市集中・偏在が,そしてこういう親の間に広がる奇妙な優秀校神話が,むしろ問題の主原因であったようにも思える。二十年も経てば日本社会も変わると,当時からわが教え子には子供達を大学まで外国に残すようにすすめてきたが,当時の駐在員の大半が欧米にいたので,この助言も必ずしも間違いでなかったようである。一九七〇年代となると,駐在員は第三世界もふくめ各地に散在するようになり,欧米では駐在員子女の増加と日本語補習学校(同時に国内の入試問題の拡大)の拡大が,現地校との摩擦を惹き起したが,これも特定居住地=補習学校の所在地への子女の集中という,日本人・日本企業特有のムレタガル行為に,問題惹起の一因があったようである。第三世界や新興国では,国際スクールの存在がある土地ではそれはど問題はなかったが,また現地の高校レベルの機関では,日本同様,英語が国際語教育として教科目に入っていたので,両親がいわゆる偏差値神話にとらわれていない限り,大学への入学に関する限り,この頃からわが国側の対応はまず正常化していた。私自身,政府の委員会や大学連合会を通じてその対応の動きの早さを観察していたので,明確に断言できるが,七〇年代半ばには,主要な大学,国際人教育に慣れていた機関では,SAT,GCE,TOEFL,私費留学生統一テスト,国際バカロレアなどを,日本語論文テストと共用して,帰国子女受入れを一般化していた。

親と子女が,「国外にいて,国内の人々より一層強く偏差値神話」を偏見というまでに強く抱いていたせいか,中堅大学,地方国立大までに限ってみても,実力なりに特別入試を受けていてくれれば,はぼ全入も可能であったのではないかとみているが,

帰国子女(とくに女子学生)の,大都市の一部ブランド大学への集中希望には,各大学はあきれ果ててしまったものである。大学の教育上の「種別」,「語学教育上(たとえばバイリンガル・テーチング)の特性」などを考慮する余地は子女には皆無であった。同時にこの頃,私も一時期すごすことになったオックスフォードでさえ,正規学生の日本人は五十名ばかりとなり,思いきってアメリカの大学(それも超一流校)に子女をあずける親も格段にふえたが,こういう親こそ社会の動き(企業の国際化,就職の流動化)を正しく読んでいた人々であろうか。またわが国の中堅大学で語学教育のすぐれている大学に子女を入れ,国内外の大学院

に進学させたり,さっさと外資系企業などに就職させる賢い親も他方では増えてきた。

一九八〇年代になると,大学に関するかぎり帰国子女問題は,国内の受験生の大量化の動向にそうて,子女を「特権階級」とみる目も広がり,むしろ問題は第三世界からの帰国子女の特殊言語体験や異文化理解力を,どう特別入試で評価するかに,極偏在化してきたと言ってよいへまた私自身,その方面の委員会を運営している立場にあるのではっきりと言えるが,帰国子女同様に,留学生にも,「海外各地」で受入れ可否をきめられるように,TOEFLやSATなどと同様なテスト

として,私費留学生統一テストや日本語能力テストの海外実施が極力すすめられるようになっている。他方,日本語補習学校の国際スクール化(現地校との科目互換制や,現地人・日本人の混在教育の拡大)もすすめられている。こうして帰国子女の定義範囲に入る子女については大学に関するかぎり問題は落ちつき始めたが,九〇年代のわれわれの頭痛の種はいわゆるオチコボレ学生の留学と称する研修(語学校短期入学など)旅行のムチャクチャな拡大や,「大学語学」の境界を無視したような商売気タップリな,ある種の大学の修学旅行的研修プログラムの拡大などであろうか。紙数もつきた。大学語学の実情などについては,またの日に語ることもあろう。終りに,人手不足の今日社会では,大学ブランドは意味を失い,むしろ学位(大学院学位をふくめ)の内容こそ,今後の社会で問題になってゆくことを訴えておきたい。