真の国際貢献 全国婦人新聞編集長 関 千枝子 |
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44号巻頭言(1993年3月20日発行) | ||
私がアメリカ民主主義の底力を身をもって感じたのは,二十年以上前(一九七二年)ニューヨークの効外に住み,ニューヨーク日本語教室の分校に子供たちを通わせている時だった。奇跡的に「図書室」を作ったが本の少なさに悩んでいた時,現地のライブラリー・システムに日本語の本を買ってもらったことからだった。そのころ−。日本人の駐在員たちが増えはじめ,補習教室の児童も激増中,とはいうものの,わが分校は,幼稚部から六年生まで全部集めても百八十人。ソニーのテレビやトヨタ,ニッサンなどの日本車が,そろそろ目立ちはじめた,といったころ−。日本語の本を売っている店はマンハッタンに一軒あったものの,種類も少なく値は高く,とても郊外の住宅地から買いに行けたものではなかった。補習教室の子供たちも,日本から来たばかりの子は,慣れない英語で苦労する日々で日本語の本に飢えていた。今の子供たちと違って,彼らは日本にいる時から″よく読む″子らだった。それがアメリカに来て,いっそう日本の活字を求めていた。一方,滞在が古くなっている子供たち − 私の子供たちもそうだったが−には,本や絵本を通して日本の文化にふれてほしい,一つでも多くの語彙を知ってほしい,というのが親の切実な思いだった。土曜日の午前中に,現地校の教室だけを借りている補習教室。そこで図書室を,などといっても誰も正気の沙汰にしなかったのだが,たまたま新しく赴任された校長が,真剣に受け止めて下さり,ものはタメシと交渉して下さったら,空教室があり,アレアレといううち,図書室が実現してしまったのだ。 詳しい話は省くが,とにかく悩みのタネが本の少なさだった。新しいことをする時,話がまとまらぬのが日本の組織の常。PTAで本代を集めるのもなかなか決まらない。子供たちは乾いたのどに水を吸い込むように,本にむさぼりついている。なんとかしたい…。その時,私たちの図書室の話を聞いた,現地のライブラリー・システムの副館長,ミス・イザードは「あなた方の子供たちは何人いるの?」と聞き,百八十人と聞くと驚きの声をあげ,「知らなかった,そんなにいるとは。それはサービスの対象になる数です。すぐ本を買うよう申請しましょう。」 はじめこの話を聞いた時,私は彼女が二世の学校とカン違いしていると思った。私たちの学校は三,四年もすると帰ってしまう滞在者用でかアメリカ国民″ではない。だが彼女は国籍など全く問題にしていなかったのだ。彼女は日本語を必要とする住民が,小学校段階だけでも百八十人もいるのに,気づかないで申し訳ないというのだった(ちなみにこのライブラリー・システム,三十六市町村を抱える。それが ″百八十人も″というのである。)これが十一月の話。翌三月には日本語の児童書の購入(四百冊弱)が正式に決まった。この本がわが図書室にどんなに力になったか,いうまでもない。 私はこのことがきっ |
かけになり,図書館から離れられなくなり,帰国してからも図書館作り運動をはじめ今に至る。多くの図書館員と会う機会も多く,ことにふれ,この話をした。しかし,日本の図書館員たちのうけとめ方は,「やはりアメリカは金があるかち」「アメリカは多民族国家だから・・・」というのが多かった。日本単一民族国家という彼らに私は愕然とし,日本にも朝鮮(韓国)民族がいるのよ,というのだが「日本人のための図書館がまだ不備なのに,朝鮮語の本なんて…と呆れ果でたような顔をされるのが常だった。時はたった−。今,アメリカの財政破綻,不景気がいわれ,日本中に″外国人があふれる″ようになった。図書館でも″多文化サービス″が研究されるようになった。外国人児童が何人も転入学して来て,どういうふうに教えたらいいか悩み,手さぐりで授業を進めている教師も多い。しかし私の見るところ,多文化サービスをしている図書館はごく少なく,内容的にも不十分だし,教師たちに外国の児童を教えるノウハウがきちんと教えられているようには思えない。多くの日本人は,突如として出現した外国人との共生にあわてふためくか,知らん顔をしているように思える。家を借りる時の差別もまだまだひどい。異質なものを受けつけない日本人の体質,アジアへの蔑視,偏見は根強い。海外滞在経験のある私たちは,自分の子供がなんの偏見もなく,そのままスンナリと現地の学校に受け入れてもらったことを思い出すたび,日本の現状を恥ずかしく思う。 アメリカより,もっとスゴイ国もある。ノルウェーは,男女平等が徹底している国で,閣僚も総理以下半数が女性という国だが,昨年出版された中田慶子さんの「私の出会ったノルウェー」(ドメス出版刊)によると,ノルウェーでは外国人の子供は週四時間,自分の母国語の授業を受ける権利がある。たった一人,外国人の子供が入学しても,学校はその子の母国語の教師を見つけなければならない。 中田さんはノルウェーの小さな町に住んだため,町にほかに日本人がおらず,中田さんが教師になり,二人の子に日本語を教えた。(自分の子に母国語を教えるのに学校へ行き,給料をもらうなんて,面白いではないか!) しかし,こうした方式を,日本の行政は想像することすらできないのではないだろうか。「国際貢献」が叫ばれて久しい。しかし,自衛隊を海外に出したり,ODAに金をばらまいたり,そんなことだけが,国際貢献のようにいわれるのは,どうにも承知できない。もちろん,外に出ることも時に必要だろうが,まずは日本国内に住む外国人滞在者が,自分の国に住むのと同じ気楽さで住める国にすること,これが一番の″国際貢献″ではないだろうか。 |