国際化への序章 東京学芸大学海外子女教育センター長 藍 尚 禮 |
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45号巻頭言(1993年7月20日発行) | ||
教育の機会が保証されているこの国で安全が空気の様に当たり前,平和も努力なしに手に入ると信じている人々の作る社会では,異文化に接触したとき,日常性から出発する感性とは相容れることのできない状況が生まれ,文化アレルギーが生じる。自らの学ぶ権利は自らそれを得るために力を尽くし,自らの安全を守るためにはそのための手段を尽くす。ところが,われわれの生活の中では,このいずれもが与えられ,保護を受けられるのが当然のことと認識されている。ゆえに,文化の摩擦が心の中に大きい波紋を生むのは当たり前ということにもなろう。そこで否と応とに関係なく国際化へ向けての自覚に大きな戸惑いを持つことになる。そこで,国際化への時代,国際化の推進,国際人育成などなど,国際化の大売出しで,”国際化を唱えなければ人にあらず″とでも云いたげな国際化ブームとでも云った熱病が今日の社会現象としておこってくる。外へ向けての国際化はもとより,内に向けての国際化への村応もいかにあったらよいか,確かな議論,思考,そして実践への積極約推進が考えられることになる。そこで,消極的,内省的そして謙譲を美徳とする躾がよしとされてきたこの国の国民性には,相容れないことへの行動が求められることとなる。人の前で話せない,自分の意見を明確に述べることができない,恥ずかしさを押さえることのできない感性など,国際化への手枷足伽がわれわれを無言のうちに縛りあげ,国際舞台への登場をさせにくくしている。国連職員への日本人の参加が少ないことは,決して早急に決着のつく問題ではないことが雄弁にそれをものがたっている。 次の世代への大きい期待,つまり教育での対応をどのように考えたらよいのであろうか。具体的な推進を計る手段としては,確かさが求められる。異文化を理解する最も手っ取り早い手段が語学であり,話しことばであることは云うを待たない。生真面目さを本来の姿とする日本の教育では,文法の学習をすすめさせ語法の習得を求め,その結果,文は読めるが話せないと云う半端な日本人の続出は繰り返したくない。話すことのできる外国語教育が早急にすすめられるべきで,英語は勿論,異文化に接触したとき,積極的に理解をすすめる上での必須要件として,話せる外国語教育が挙げられるはずである。日本を訪れた海外からの人びとは,懸命に日本を知ろうと日本の文化に接触を求めてくる。 |
これをみるとき,われわれが外国に出掛けた際,果たしてこのような姿勢をもってその国の文化理解に体当たりを試みたであろうか。日本を訪れ,われわれに接触した外国の友人に真のコミュニケーションをもったであろうか。貿易上の摩擦を聞かされる度に,日本人自身が真に自らの文化,社会をかれらに紹介して来ていないことに思いを致すのである。フェイス・ツー・フェイスで,真の文化理解をすすめるための話す力の欠如が21世紀直前の今,未完成,不完全のままである。相手の顔色を見ながらの主張,譲ることを前提にしたバーゲン(取り引き)では,国と国,文化と文化の間の理解はとうてい望めまい。国際化への村応として積極的に考えるべき最良の手段は,話せる外国語の学習を早急に進め,それも幼少期から積極的に推進することこそ重要であろう。中・高校段階での推進では遅すぎる。 海外で異文化に直接触れて帰国した児童,生徒が,身につけた積極的な自分の意見を述べる姿勢に,周囲がこれを剥ぎとるという日本的現象が,決して学園生活のなかだけでおこることではなく,日本人自身の持つ島国的生活観,社会観に基づくものと云えないだろうか。文化の在りかたについての反省自体も国際化への脱皮に不可欠なものであろう。皮肉なことに,近頃帰国生からの異文化剥がしが話題にならなくなった。それは,海外の教育施設で異文化接触,異文化理解の教育が有効にいかされていないのではないかとの危惧の念を抱かせるものである。日本のめざしている海外子女教育が,真に,国際化推進を計るものにならなくなっているのではないかと思えて仕方がない。多文化共存の社会への移行は,島国日本にとってもまぬがれ得ぬ時代の流れといえる。 一方,日本人自身が自ら持っている文化を見なおし身につけておくことも急務ではなかろうか。それは衣,食,住にわたる風俗,慣習,さらに家族,宗教など日本固有の文化についての充分な認識を持ち,異文化に対し自らこれを誇れる文化として主張してこそ国際人への第一歩を踏みだすことができると云うことができよう。つまり,自らがもつ文化に理解のない人間,主張のない人間に国際化はあり得ないのではなかろうか。 |