ネットワークを通し,新たな飛濯を 会長 和 賀 満 男 |
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50号巻頭言(1995年3月20日発行) | ||
本会は,日本の経済が石油危機以来の不況から脱出しはじめ,また,ベトナム戦争の終結という世の中に明るい気運が見えはじめた一九七五年に「帰国教師の会」として発足いたしました。今年は,本会創立二十周年の輝かしい歴史を迎えました。ここに,「二十周年記念会報五十号」を発行できますことはご同慶にたえません。 当時の記録によりますと,発会式は五一名の参加者を得,東京の国立教育会館で挙行,設立趣旨には「海外日本人学校で教育に携わり帰国した教職員が,その貴重な体験を国内の教育活動に生かすだけでなく,相互に研鑽連絡をはかり・・・」とあり,教員自らが意欲的な研鑽と実践に努めるとともに,全国の教員のネットワーク作りの重要性を強調しています。 本会は,その後一九七七年「全国海外子女教育研究協議会」と名称を変更し,研究団体としての性格を明確にするとともに,各都道府県の組織充実をめざしてきました。 水を飲むとき井戸を掘った人を忘れるなという中国の格言がありますが,あらためて草創期の関係者の先見さと幾多のご辛苦に心から敬意を表しているところであります。 さらに,一九八九年学習指導要領の改訂が実施され,そこに国際理解教育の理念が織りこまれたことを受け,一九九二年,会の名杯を「全国海外子女教育・国際理解教育研究協議会」に変更し,各都道府県のセンター的役割を果たす研究団体になっております。一九九三年,第二十回全国大会(東京記念大会)においてこれまでの研究活動に対し文部大臣より本会は感謝状をいただきました。 現在,会員は派遣教員に限定せず,その数二千七百名,運営費は会費及び文部省の研究助成金とで八百万円になっております。創立以来,全国大会の開催,各ブロック大会の開催,各地におけるセミナー,シンポジュームの開催,会報,研究紀要の発刊等の活動を行い,現場教師サイドからの実耗研究を推進し,大きな成果をあげてきました。 「創業は易く守成は難し」といわれますが,創業は大変難しいわけでして,創業のあとを安けて,それを更に発展充実させることは更に難しいと思います。本会が成人式を迎えることを契機に,守成の難しさを肝に錦じ,叡智を結集し,みなさんの期待にそえる活動に努めたいと思っています。 |
ここで昨年夏,関東ブロック(千葉)大会での或る出来事を紹介します。 午後の分科会の休憩時間の際に,埼玉のS先生が「今度,小六の社会科,日本の歴史の「開国・黒船がきた」を扱った研究授業をするのですが,史料収集について協力してくれませんか。」と居合わせた先生方に声をかけました。 早速千葉のE先生が「今,幕張メッセでアメリカンフェアIが開催されています。べリーについての展示もありますよ。研修会終了後出向いたらどうですか。」と教えてくれました。また,東京のT先生は,アメリカの教科書でのべリーの取り扱い等について,ニューヨークの補習授業校へのファックスでの照会を約束してくれました。 その後,S先生の手元に各地から資料が送られたようです。東京のK先生からはNHKで放映した「黒船」のビデオテープ,千葉のB先生からは,同僚が実践した指導案と関連資料,沖縄のT先生からは,寄港の際の資料等です。福島のY先生には,会津若松城資料館にペリー来航の絵図が展示さえている旨の情報を提供していただきました。小職が紹介した小笠原の教育委員会からは,寄港の折りに土地を提供したセボレー氏(現姓瀬母札)の子孫が実在していることや当時の資料,下田市の教育委員会からも資料がS先生の手元に届いたそうです。 相手の発しているものをきちんと受けとめ,仲よく手をとりあっていく,全海研会員のネットワーキングの形成がここにみられます。S先生は「会員の皆さんに,はからわれるということが嬉しいです。」と電話を通し言っていましたが,きっと温かい人間の心が通じる授業が実践できたと思っています。 ここに,学び,真摯に生きる教師のものとしての研究団体の意義を見いだすことができるのではないでしょうか。 おわりに,多難であった二十年の来し方を潜み,本会に格別のご援助とあたたかいご指導を賜りました文部省,外務省並びに海外子女教育振興財団をはじめ,各都道府県教育委員会,各都道府県組織,関係各位に心から深く感謝申し上げます。今後も本会の大躍進と海外子女教育・国際理解教育の一層の向上のために,ご支援をいただけますよう重ねてお願い申し上げます。(上尾市立西小学校長) |