帰国子女の適応

                   一橋大学教授 稲 村 博

53号巻頭言(1996年3月20日)

 数年前になるが,招かれて,北米数ヵ所で帰国子女の適応促進についての講演を行ったことがある。どの地域も満員の盛況で,主催者によると定員オーバーで随分お断りしたとのことだった。駐在員にとって,子弟の日本での適応ということがいかに重大な関心事であるかに,改めて考えさせられた。 参加者は夫人が多いのは当然として,ご主人方も結構多いのに驚かされた。まず,私の方から,帰国子女に関する日本での調査結果を報告し,不適応をきたす要因や,心掛けるべきポイントをまとめて説明した。しわぶき一つない熱心な聴衆は,私の話が終わると次々と質問や相談を出された。その熱気にはしばしば圧倒され,予定の時間内に収めるのが容易でなかった。さらに,終了後は,今度は個別の相談などを安けたが,いつ果てるともない感じで,やっと終わった時にはどっと疲れを覚えたものである。

 そこで出された質問は多岐にわたるが,帰国前に予測する方法,予防のための方策,日本の側で行われている予防的施策,駐在員の苦労が日本で正しく理解されているのか,などがどの地でも出された。また個別の相談では,不適応とみられるサインが出ているが,帰国後どこへ頼めばよいか,現地校でもいじめにあったが日本に脅威を親子とも感じているなど,具体的な対策の場所や専門家の紹介を要請するようなものが多かった。なかには,親子とものびのぴと現地の生活をエンジョイし,帰国が追ってきてとてもあわてているといった人もいた。さらに多かったのは,帰国子女枠で日本の学校に入りたいが,うまく入れなかった時にどうなるかの不安であり,日本からきている留学生や塾の先生の奪い合いといった実情がいろいろ口にされた。

 なかには子ども自身がやってきて,志望校へ入るためのヒントを得ようとする例もあった。まさに悲喜こもごもで,北米あたりでは途上国の駐在員とはまた違う駐在生活の実績と,生き馬の目を抜くような油断ならぬ実態が感じられた。

 その一つは,予備校や塾の進出である。以前の駐在員は,日本では味わえない外国生活そのものに意義を見出そうと,断固として日本の予備校と塾の進出を阻止していた。ところが,いつの頃からかこの自己規制が崩れ始め,そうなると続々進出して,今や国内以上の進出合戦となっている。よりランクの高い予備校に入れようと親は奔走し

夜討ち朝がけ的に他に先がけ裏をかこうとする。そこへ入るための家庭教師が引っぱりだことなり,予備校や塾の教師たちの羽ぶりはよくなる。日本から視察にくる校長や理事長などは超一流ホテルに泊まり,夜を徹して部下を引きつれ豪遊していると,あちこちできかされた。それが数年前のことだったから,その後は一層エスカレートしているに違いない。

 また子女たちのほうも様がわりしている。日本の大学で帰国子女粋が主要大学にみな設置されたから,以前のように早く帰国して受験競争に加わる必要があまりなくなつた。むしろ逆に,なるべく高卒までいた方が有利なわけで,親は任期がきて先に帰国しても子どもは残っている例がふえてきた。そればかりか,親は日本にいるのに現地校へ留学して,日本の受け入れ大学を目指す例が散見された。そうなると,海外での一人暮らしという新たな事態が生じ,海外での不適応という問題に直面することになる。

 もっとも,以上のような事情はおそらく北米で最も著しく,北米のうちでもニューヨークなど東海岸に,より過酷な感じがした。望むらくは,他の諸国ではもっと素朴で純な子ども心がはぐくまれることである。

 ところで,帰国子女の不適応は,より複雑化しているように思う。日本にいる時から何らかの不適応状態を示していたのが,海外で再燃し,充分改善されぬまま帰国して,今度はより深刻な事態になるとか,日本では目立たなかった子が海外で不適応になり,充分改善しないまま帰国したあと悪化するなども少なくない。また海外で日本以上の過当競争に巻き込まれ,実力や能力以上に伸ばそうとしてつまづき,すっかり自信をなくして帰国し,結局そこから脱却できずにドロップアウトしてしまう。しかも,その際,元の海外なら何とかなるかと考えて,また帰るのだがそちらでもうまくいかず,日本と現地を往復しながら年を経ているようなケースにも出会う。それに比べれば,親子とも海外でのんびりしすぎ,直前にあわてふためいて不安定な状態で日本へ帰国したあと不適応になる方がまだ立ち直りやすいといえる。

 ともあれ,こうした海外での状況が複雑化するほど親はしっかりした考えを持ち,付和雷同することなく,子どもの個性を最も生かす行き方を堅持してほしいものである。