日本型フィランスロピーの潮流

三菱電機顧問   川崎医療福祉大学教授 渡邊 一雄

55号巻頭言(1997年1月20日)

 次ぎに述べる事象から日本人は何を思い浮かべるだろうか。

 一,次官犯罪及び官々接待と市民オンプズマン

 一,企業行動基準の見なおしと「企業市民」

 一,学校数育にボランティア導入と新しいコンセプト「合校」

 この三つの事象の中で,共通する点が二つある。一つは,戦後の日本をかく迄発属させ支えてきた「政府セクター」と「民間セクター」のダンスの足並みが乱れ,時代の価値観の転換と共にシステムの疲労が大きく浮かび上がって来ていることである。特に戦後はアメリカの大量生産,大量消費というサンプルをいかに日本型にコピーすることに専念した政府

 民間セクターはクリエイティブよりいかに効率的かが重要であった。そして企業の採用もそれに見合う人材を中心においた為,学校教育も偏差値中心の教育になつていったことは必然であった。知識の量を記憶していることが最大の価値基準とし,「感性の豊かな子」「協調性のある子」「人の嫌がることを黙って出来る子」「人や社会の為になることを主張し実行出来る子」が育っていく環境ではなかったと言えよう。

 二つ目は「政府セクターJ「民間セクター」のみに支配されていた日本にもサードセクター(フイランスロピー,非営利セクター)がわずかであるが働きだしたことである。しかもこの働きはミセカケでなく確かな歩みであり,次第に拡大して時代の潮流になりつつある。

 勿論,日本のフィランスロピー・セクター(Pセクター)の歴史は今に始まつたことではない。

 明治の初期の工業化の時代,企業家によるフイランスロビー活動は活発であった。 これは儒教思想をもつ武士階級出身の企業人が利益よりむしろ公益を重んずる傾向があったとヒルシュマイヤー教授は指摘している。

 しかし,現在日本に台頭しているPセクターの動きは明治時代のものと違い,一般市民が市民意識を根本において活動しているものであり,世界のPセクターの動きと連動してきている点は特記しうるものである。

 確認の為に付け加えるとフィランスロピー(Philanthropy)とは慈善とか博愛と訳されているが欧米での実際の意味するところは「民間が公益のために社会貢献活動を非営利・非行政の立場から行動すること」を指している。また,これを行政セクター(第一セクター)企業セクター(第ニセクター)に村し第三セクター(Pセクター)と称せられている。我が国における第三セクターは政府と民間が共同して行う事業のことを一般に称するので誤解しないでいただきたい。

 さてこのPセクターで活羅しているのが前記市民オンプズマン(監視人)であり,合校に参加する市民ボランティアである。

 官々接待チェックの口火を切ったのは宮城県のオンプズマン達である。行政自体の自浄能力に信用せず,一般市民の中でボランティアで立ち上がった人々の努力は並大低のものでなかったと思われるが,この意味するところは大きい。政府の金に依存して生きて来た一部の市民はこの働きを苦々しく見ているが,この人々は政府セクターの寄生虫とみなしてよいだろう。

企業市民感覚もPセクター成長の一環である。戦後五十年,経済成長一辺倒で周囲を省みることのな

かった企業は,現在,国際的批判にさらされ,且つまた,企業内社員からも人間性豊かな企業になってほしいとの強い突き上げを受けている。企業人も長寿社会に即して定年後どのような生き甲斐を持つべきかを現役時代から真剣に考え出した。

 私自身もかつては営業の鬼と化していた時代があったが,四十五歳の時,三菱セミコンダクターアメリカの社長として米国ノースカロライナ州に転勤してから組織の中に生きる人間のあり方を考え,従来の行き方を転換した。しかも,最初はどのように会社人間から社会人間に転換してよいか分からなかったが偶然起こつたある事件で変わることができた.

 それは私の住んでいたダーラム市で少年野球大会に引き出され,突然,スタジアムでアメリカ国歌を独唱させられるはめになり,苦しいながらも歌いだしたら,スタジアムに参加していた全員が大声で歌いだし,大合唱になつた

 それがテレビで放送されてから,ダーラム市民の私,及び私の会社に対する見る目が変わり,私共を心から友人として,かつ,企業市民として迎えてくれるようになった。その時分かったことは社会貢献とは金銭を寄付するだけでなく,市民活動に参加することだ。その結果は気持ちのよい感動が残るということであった。

 最後に学校とPセクターについて述べてみたい。

 従来,市民も学校関係に働く人々も共に,学枚教育はすべて教員だけが行うという固定観念がある。この固定観念をすて,Pセクターの参加を認め,外部の教育機能を採り入れていく必要があるのではないか。

 アメリカにはアドプト・ア・スクール制度があり,地元の企業がその地域の学校を養子にして企業社員が教員の手の届かぬ部分を教育する。

 例えばボランティア体験,運動会,企業見学,企業人の話など,会社員が企画・実践し,多様化した知識を生徒に与える。そのことによつて,学生は情操豊かな社会に密着した人格が養成出来るメリットに加え,企業人にも社会に参加したという満足と企業人自身の人格の形成につながるという構想である。

 更に時間的余裕の出来た教員が本来の教育指導が出来,自己研鑽も積むことが出来る。

 日本でも経済同友会などがこの考え方を「合校」というコンセプトで提言していることは注目に値する。

 以上の事象から日本型フィランスロピーの潮流はまぎれもなく加速されだしたということがお分かりいただけたと思う。

 問題はPセクターを構成する日本人一人一人の自覚であるが,歴史の浅い我々の大多数がフイランスロピー意識に目覚め行動することができるかどうか。すべての変革の成否はこの一点にかかっている。為己為人(ワイケイワイヤン・人の為にやることは自分の為だ)という中国のことわざを読者ご自身の問題としてお考えいただきたい。

 日本人は富める国の貧しい国民である

 日本は官僚独裁制下にあり本当の民主主義が根づいていない

 この解決法は唯一つ

「日本人ひとりひとりが市民意識をもつ

ことである」(ウォルフレン)