”美”という世界を追い求めて

                       写真家   阿 部 伸 宗

66号巻頭言(2000年7月25日発行) 代表作として日本たばこの「マイルドセブン”白いシリーズ”」15年間担当し,さらに,資生堂,銀座かねまつ,富士重工の広告写真を幅広く手がけ,広告界の各賞を総なめにした写真家。

 私は写真家として世界各地を撮り歩いて参りました。南極大陸,北極,赤道直下のトンガタップ,昼と夜の温度差がなんと60度も変化する砂漠地帯…しかし,その地にも人間はしっかりと生きています。多くの人達との出会いがありました。私はその地の文化を知りたく,かならず市場に足を運ぶようにしています。そこにはいままで目にしたこともない野菜,魚,肉などが山と積まれています。スペインはバルセロナの市場で出会ったキュウリ,これは,なんと日本のキュウリの3倍はありました。さっそく買い込み,塩もみしてガブリ。日本のキュウリとまったく変わりない味です。こんな小さな出来事にも,ささやかな感動があります。市場で働く人々の顔に刻まれた皺のひとつひとつにも,時と重さ,美しさを感じます。

 さて自分の人生を切り開き,生き抜く為には,一体何が必要なのか,これは誰もが悩む問題だと思います。しかし,それに対する答えが,現在のような「画一的な学校教育」から果たして本当に生まれてくるのでしょうか。世界各地のいろいろな人々を見てきた私には,はなはだ悲観的な答えしか出てきません。資源のない日本という国は,このままだと沈没してしまいかねません。21世紀は目の前です。一日も早く「独創性のある教育」へと変えて行かなくてはならない時ではないでしょうか。

 私は,現在に至るまで30年間,写真を職業として戦い続けてきました。しかし,順調に歩んできたわけではありません。25歳過ぎた頃でしょうか。私は「他者には無い力ある自分」,「独創性ある自分」を作り上げなければ,この世界では勝てないのではないかという思いを強く抱くようになりました。何事も真面目にさえやっていればいつかは必ず成功する…そんな時代はもう過去のことです。「独創性」ある自分を作り上げるには,「生きること自体に喜びを感ずる」日々を作らなければだめなのです。自分がこのことに気付き,全力で戦ってきたことが,今日の写真家としての自分を作ってきたのではないかと,今つくづく感じております。

 私の「独創性」とは「美」です。では,美とは何か?,美とは,知性であり,勇気であり,行動力です。美は戦いです。目の前にどれだけ美しいものがあっても,そのを見抜く力が無ければ,それはただの物にしかすぎません。科学であれ芸術の分野であれ,総て自分自身が前向きに前進してこそ発見があり,発明が生まれ,自分自身を「独創性」ある人格者へと高めていけるんだと思います。

 16年ほど前になるでしょうか,私は15人ほどのスタッフと,アメリカ・ニューメキシコ州のホワイトサンズという砂漠へ,”白い世界”というテーマの広告写真を撮影に行きました。

 それはそれは真っ白な砂漠です。しかし,その砂漠の世界は刻々と変化していました。グレーの色に変化したかと思えば,又ブルー,黒にも見えてくるのです。太陽が更に西へと移動する度に,白い砂漠は大きな変化を生じます。太陽が移動すると風紋が変化しますが,それは風紋のシャドウー部が変化するからです。青空が写り込んだブルーの砂漠,さらにグレーの砂漠,黒い砂漠…瞬時も目が離せません。サングラスをせず,裸眼で鋭く凝視していなければ,その大きな風景を撮えることはできないのです。シャッターを切る瞬間を見逃してはなりません。白を白として写し出すにはシャドー部にかかる色をなに色にするかということが実はとても大事なことなのです。太陽が刻々と移動する,その時間との戦いとなります。

 美を切り撮るということもまた,戦いなのです。

 

 人類はまだまだ,文明や文化にしても,やらなければならないことが無限にあります。白人であれ黒人であれ,黄色人種であれ,人間として変わりがあるわけではありません。砂漠が実は白一色ではなくさまざまな色から成り立っているように,多くの人種が手と手を握りあってこそ,美しい新たな世界が生まれるのではないでしょうか。

 振り返ってみれば,20世紀はなんと多く血の雨を降らせた世紀でしょうか。21世紀は,人間が人間として生きられないような壁を作ってはならない,という思いでいっぱいです。そのためには,「美が生きる座標軸」を多く作らなければならないと思うのです。

 現代の若者達の陥りやすいのは「事勿れ主義」であり「他力本願」的生き方です。なぜそうなるのか,それは社会であり,教育です。総てにおいて若者達が悪いわけではありません。大人があまりにも物事に無関心で,他人と自分を比較して一喜一憂しすぎているのです。大人たちが「生きること,生きていること自体が喜び」といえる生き方を示して行くことこそが大切なのです。人の前に火を灯し,導く勇気を持ちたいものです。そのことが「美」だと思うのです。

 小説家L・オーノフの言葉に,こういうのがあります。「人生の美とは,何よりも一人一人が自分の天性と自分の仕事に見合った振る舞いをする中に存在する」。人間として自身の内面を改革することがより確かな自分を創り上げる。美の確立はそこから始まるのだと思います。美の確立なくして人間の存在はありえないと思います。これが,私の最大のテーマであり,今私が進みゆく現在の姿です。生きていること自体に喜びを感じること,そこから美は生まれるのです。長い物に巻かれて生きてはいけないのです。朝,目覚めたとき「よしヤッタ。今日も戦うぞ」この叫びが必要なのです。生きて生きて生き抜く,前向きな気持ちが大切なのです。10年20年牢獄に在りながら,一国の大統領になられた方もいます。生きるということはどういうことだと思いますか。どんなに目の前に災いが襲いかかろうとも,負けることなく戦い続けることなのです。そこにこそ生きる喜びが生まれ,美が発生するのだと思います。

 「真善美」か「美利善」かです。美に価値があるのです。美無くして人類はありえません。美のあるところに善が生じ,利が生まれるのです。56歳になる私ですが,まだまだこれからだという思いがいっぱいです。写真家としての人生はほんとうにこれからなのです。瞬間瞬間変化する風景,瞬間瞬間変化する社会,そのどれをとっても待ったなしの時代です。「自分自身の進んできた人生,確かなり」と言えるまで,私は日々戦い続け,生き抜いて参ります。たかだか56年間の生きざまではありますが,確かなる生きる喜びを手にすることが出来ました。今日から明日へではなく今を限りなく強く,力のあらん限り生き続けていきたという思いでいっぱいです。

 今,日本には若い力が必要です。若者にしかこの国を変えることは出来ません。そのためにも,「画一的教育」から「独創性ある教育」へと変えようではありませんか。もちろん,若者だけではなく,私達大人も共に努力をしなければ,変えることはできないでしょう。政治が悪い,社会が悪い,では何も変えることは出来ないのです。どうか日々「生きていること自体に喜びを感ずる」そういう生き方をしてください。そこから総てが始まり,新しい社会が作り上げられて行く--今,私はそういう思いでいっぱいです。

 56歳になる写真家より