持ち味を活かして レストラン ヌキテパ オーナーシェフ 田 辺 年 男 |
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67号巻頭言(2000年12月25日発行) | ||
私が,人を楽しませる「食」を提供することになってから,早いもので四半世紀にもなってしまった。自分の歩んできた道をみてみると,今現在やっている仕事にも,少年時代から生きてきた道にも共通していることがわかる。 自分が生きてきた少年時代は,多様化した現在とは違い「ソフト,相撲,マラソン」等身体を思う存分に使った遊びをしていたと記憶している。その中でも,私の育った地ではとりわけ「相撲」が盛んであった。しかし身体が小さかった私にとっては,大変不利な戦いを毎日続けていた。そんな中で,他人に負けるのが悔しく,人知れず戦法を考え練習に励んだ。その甲斐あって,相手の腰下に潜り込み足をつかんでしまうという「なべしき相撲」を完成し,相撲で毎日を過ごし,小5の時には上級生をうち負かし学校一になっていた。生まれながら持っていた競争意識が強く芽生え,学校環境が競争できる場として最高であり毎日が自分の「檜舞台」であった。 今になって,現在の子どもたちの環境を考えると,子どもを育てる「親」が,自分の子どもたちの檜舞台に遠い未来の大人になってからの「場」を考えているように思われてしかたない。これは違うのでないか,今「現在」が充実した毎日でなければ,未来の「檜舞台」は空想の世界になってしまうのではないか。私は10歳なら10歳の「檜舞台」,20歳なら20歳の「檜舞台」があると思っている。そのように考えると毎日毎日が充実し,楽しく,満足できる毎日ならば,そこから新たな「やる気」が起こり自分の足元から自分の好きなもの,やりたいものの興味がわいてくるのではないか。 自分のことを考えてみても,小6の運動会で見た高校生の模範演技(体操)には,感動を覚えた。連続のバック転,大車輪等をみて,これが自分の探していたものだと思った。 中学に入ったら器械体操をやろうと心に強く決めていた。しかし,中学には体操部がなかった。でも,自分たち3人で毎日,放課後,下校時刻まで鉄棒や体操をやっていた。そんな姿を見ていた学校の先生たちが自分たちのために,中2になると体操部を立ち上げてくれ,鉄棒も大車輪のできる鉄棒を購入してくれた。また,体操で有名な高校に入りたくて,中3では朝の4,5時までも勉強した。首尾良く高校に入り,2年になるときには県下一になっていた。その後オリンピック選手を沢山搬出した大学に入った。この時,努力すれば必ず答えは返ってくることを学んだ。
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自分で,自分を振り返ってみると,小学校時代から教育環境に恵まれていたと思う。親として,子どもには,なんでもやりたいことができる環境を作ってやることが大事だと思う。これには,親として健康に気を配り食生活からバックアップし,さらには,やりたいことができる条件を整えてやることではないかと思っている。
最近,自分の子どもの関係から多くの親たちの教育に対する姿勢をかいまみる機会があった。私立学校入試に合格したら,代償として何かを買ってあげるとか,どこかに連れて行ってあげるなど,教育の機会を巧みに使い「餌」を与え,合格させようとしている家庭も見えてきた。このようなことが義務教育期間中に行われていること自体おかしいことである。一生懸命努力したのであれば,その結果(合格,不合格)は別として,努力したことを誉めたたえることの方が大事ではないかと思う。 子どもにはいろいろな個性もあり違いもある。しかし,今の学校では誰でも,一律に同じ能力を身につけさせようとしている姿勢が見られる。基礎学力は必要であるが,画一的に平均化するのはやはり無理があるのではないか。学校でも,教師が勝手に授業を進めるのではなく,基本は基本として押さえながら,客人である「児童・生徒」が,今一番望んでいるものは何かと,触手を張り巡らし,敏感に察知しながら授業をしていくのも大事なことではないかと思っている。 個性豊かな子ども達に,個性が発揮されるような場面を作ってやれば,その子どもは,苦しくても,これが自分で探し求めていた「道」であると思ったときには,全力で進んで努力していく。 自分の子の話で恐縮だが,中学生になってから部活に入り「これが自分が探していたものだ。」といいながら,毎日毎日,自分で自分を鍛え,自分は将来プロ選手になるんだと,自己鍛錬をしている。たとえ,プロになれてもなれなくても,一つのものをやり通すことの大変さが自覚できることは大事なことではないかと思う。「食」を提供する際には,トマトはトマトであり,キュウリはキュウリであり,ナスはナスである。食材の持ち味ををそのまま生かしてこそおいしいものが生まれる。 |