教師の海外経験を生かすための試み

   倉敷市立茶屋町小学校 南 井 滋 野

7号巻頭言(1980年10月10日発行)

 帰国教師の数がふえるにつれて,その海外見聞録も多彩になってきた。単に個人の体験をつづったもの,海外子女(その父兄)の意識調査的なもの,独自の教材研究など,どれも貴重な報告である。

 しかし,もうひとつものたりなきを感じることも多い。海外子女教育大会に参加していても,時々同じ思いをする。それは,教師の海外経験が単に経験域にとどまっていて,先に進まぬもどかしさからくるのではないだろうか。ひとりひとりの海外経験を再構築して,普遍化し,国際理解教育へ視野を広げる段階にさしかかっているのではないか.

 こうした考えから,国際理解を進めるための学習方法,教材開発をいくつか試みている。

 そのひとつは,国際理解をまず,自分と他者との間の共通点からスタートさせる方法である.人は,どんなに長い時の流れにもかかわらず,またどんなに離れた土地にくらそうとも,不思議に,「衣,食,住」の領域においては,基本的な生活の知恵(わざ)に,大差を示さない。ここを小学校高学年を対象にした,郷土学習の中で学ばせたい。

 まず人類の共通のわざを「衣」においてみることにした。児童の生活圏(倉敷市南部)も,教師の海外経験地(ペルー)も,共に,織り物に深い関係をもつ土地柄である。郷土学習は,「衣」とのかかわりを持った郷土の人々のくらしの歴史をたて糸にして進めた.田舎でありながら,その特産である細巾織物は昔から,中国大陸の人々の風俗に寄与し,南洋のヤシ圏にまで進出し,また,染色工業発展にも関係していたことなど,たて糸は,一発見するごとにのびていった。これを助けた横糸の教材は,「創作活動」である.小学生には,少々難解とも思える「衣」についての資料,現物,図,写真の展示が,意外にも,彼らの活動を広げていった。南米インディオの織り方も,エジプトビラミッドの壁画にみる織り方も,そして,郷土の織り方も,同じわざから出発していることは,すぐ気づいた。それだけにとまらないで,自分たちの手でも織ってみたい,織ってみようと,鑑賞から創作へ進み,やがて,「知らせよう」という情報交換にまで発展していった。「織り物のスタートでは,人はどこでも,だれでも同じ方法でする」ことをまず,自分たちの家族に,そしてなかまに知らせたいと,人形にその過程を語らせる劇を自作自演した。また

各自の織った布,ひもをつなぎあわせて大布にし,常設展示している。織機も,もちろん自作である。これの製作上のヒントの優劣は,教師のしっかりした「衣についての知識つまり学習量」にかかってくることを痛感した。情報交換は,児童側だけでなく,教師もさかんにおこなっている。まず,「衣」についての生活の知恵は,ほとんど足で集めてまわった。国内でも,国外でも,この種の生活の知恵がどんどん少なくなっていき,格一化されたわざのみが,(しかも,身近かに再現できぬわざが)残っていく。特に国外への情報交換は,「衣」の知識を多量にしいれさせてくれた友人でもある,ペルーの日系人学校教師集団とおこなった。派遣期間中,彼らに工芸技術講習を続けたが,それは,わたしの帰国後も,こういう形でひき続いて行われている。

 「衣」に・見つけた人類の共通点をさらに 「食,住」にも,見つけていきたい.しかし,この二領域には,各民族の興亡をかけた長い歴史があるので,もっと他の方法でわけ入らねばならない.こうなると,教師の単なる海外経験見聞録では歯が立たなくなるのは当然である。

 こうした,人類の共通項捜しをさらに進めていくが,しかし,現在,自分たちとはちがう文化,価値感に生きる人々との信頼,理解の輪を広げるのが,最終の目的である。

 また,同時にとりくんでいる教材開発に,「日本人移民」がある。南米は特にかかわりが深い。こちらは,かなり資料もそろい,各種の研究物も出ているので今さら,教師の経験をうんぬんすることもなさそうである。しかし,国際理解教育のための教材として,とりあげようとすると,既存の文献ではとても間にあわない.年おいた日系人の「わたしたちは移民でのうて,棄民でしたわい」というつぶやきを伝えるだけなら,わたしの海外経験は充分である.八十年前,はだしで逃げだしたという耕地もみたし,排日運動を盛りあげようとした当時の新聞も読んだ.強制収容所へ連行された人の話もメモはした.しかし,そうした日本人移民の歴史の歩みの中に,見えかくれする日本人独特の思考,価値感は,今も同じだ.これを,しつかりおさえた上で,さらに教材にするためには,その背景となる,相手国の人々の歴史,見しらぬ土地へ四十数日をかけてでも出なければならなかったこちら側の人々の歴史…やはり,海外経験プラス,アルファの大きい仕事である。(元リマ日本人学校教諭)