【講演】
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演題「異文化間教育としての国際理解教育」 |
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講師 龍谷大学文学部教授 小島 勝 氏 |
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1 はじめに
本研究大会の準備のために,この7月に米来小 学校に寄せていただきました。これからどうした らよいのかと先生たちが心配しておられましたが, 今大会の資料を見せていただき,さすがに米来小 学校の先生方はよく国際理解教育に取り組まれて いると思いました。
レジュメの「異文化間教育としての国際理解教 育」にそって,お話をさせていただきたいと思います。私がこれまで最も力を入れて 研究してきましたのは,「海外子女教育」の研究で28年間携わってきました。第2次 世界大戦前は「在外子弟教育」とよんでいましたが,研究の関心を他に向けないで意 識的にこのテーマに取り組んできました。この間に東南アジア各地の日本人学校に寄 せていただき,お世話になりました。
私をこの研究に導いてくださったのは,小林哲也先生(前プール学院大学学長・京 都大学名誉教授)ですが,先生のもとで,大学院生の頃から海外帰国子女教育研究に 関わってきました。小林先生がいち早くこの教育問題に目を付けられ,1974(昭 和49)年頃から研究を始められましたが,私もこの共同研究に加えていただきまし た。本格的に海外学術調査を始められたのは1977(昭和52)年でしたが,マニラとシンガポールの日本人学校に1カ月間調査にいきました。
また,京阪神を中心として海外帰国子女教育に関心のある保護者,教員,企業の相談 員,研究者が集まって「帰国子女教育を考える会」の活動を続けてきました。年に4 回の研究例会をもっています。そこで保護者や先生方からお話を聞かせていただいて, 勉強をさせていただいています。
2 私の異文化体験
私の最初の異文化体験は,1977年の日本人学校調査でフィリピンのマニラに行 った時に経験したことです。夕食に招かれましたが,その家の人が作った料理を遠慮 して食べることを礼儀とする日本人の作法は,かえって失礼でした。何度もおかわり にいく方が,ホストを喜ばせることを知りました。
ハワイで浄土真宗本願寺派の開教使と食事をしまし時は,その方はお皿に自分の分 だけ山盛り取って一人で黙々と食べるのです。日本では相手の食事も取るとか,「どう ぞ」と言って取ったものをすすめたりしますが,全くそのようなことはありませんで した。この開教使はすっかりハワイの文化に染まって,個人主義的になっていること を感じました。中国では,お腹が一杯になって「もう結構です」と言うと,喜んでま た食事を持ってきます。出されたお皿を残さずに食べますと,「足りなかった」と向こ うが非礼を感じることになるのです。このように国によって食事の仕方が違い,その マナーを知らなければならないと思いました。
ハワイでは,開教使に初対面で会う時など,公式の場所での半袖は駄目でした。目 上の人の前での半袖は,失礼にあたりました。ハワイでは,気楽な感じでアロハシャ ツなどを着ていますので半袖でもよいと思っていましたが,時と場所によっては長袖 でないといけないということを知って驚き,失敗だったと後悔したこともあります。
3 異文化間教育の定義
まず,「異文化間教育」はどのように定義されているかということですが,異文化間 教育学会の初代会長の小林哲也先生は,「異なった文化の交流・接触によって生じる教 育実践や諸問題を包括的に表現するもの」,「国際化によって生じた特定の教育領域と 言うよりも,そうした教育問題に対する一つの観点,問題接近の方法を意味する」(「『異 文化間教育』の創刊にあたって」異文化間教育学会編『異文化間教育』1号,アカデ ミア出版会,1987[昭和62])年)と言っておられます。
また江淵一公先生(放送大学教授)は,「異文化間教育とは,異文化との接触や異文 化との交流を契機として,あるいは異文化との接触と相互作用が恒常的に存在する構 造的条件のもとで展開する,人間形成にかかわる文化的過程ないし教育活動である」, 「端的に言えば,『二つの文化の狭間で展開する教育過程』である」(「異文化間教育学 の可能性」・「異文化間教育と多文化教育」『異文化間教育』10号・7号,1996(平成 8)年・1993(平成5)年)とされています。私は,ここの「狭間」には“被害者意 識”が含まれていますので,広い意味で「間(あいだ)」と呼びたいと思っています。 江淵先生は,「二文化人」という二つの文化を併せ持っている人を積極的に評価し,「多 文化人」や「第3文化人」,「普遍人」といった新しい人間像を紹介して,その重要性 を指摘しておられます。
佐藤郡衛先生(東京学芸大学;現異文化間教育学会会長)は,異文化間教育は「異 質な文化をもった者同士が共生していくための新しい価値創造の営み」であり,「単一 文化的視点」(同化モデル)でも「比較文化的視点」(統合モデル)でもない「異文化 間的視点」(共生モデル)こそが,異文化間教育学の「独自の視点」であると言われて います(『海外・帰国子女教育の再構築−異文化間教育学の視点から』玉川大学出版部, 1997[平成9])年)。そして,「文化」を「可変的なもの」として捉える必要性を説か れています。
「新しい価値創造」に特に注目しておられるわけですが,これまでは「単一文化的 視点」で,いわば「同化モデル」すなわち“日本で生まれて日本で死ぬ”という“生 涯一つの社会で人生を終える人”をモデルに研究をしてきましたが,近年は複数の文 化にまたがって異文化の間で過ごす人が増えてきました。「比較文化的な視点」は,例 えば日本とアメリカの違い比較するということですが,ここでは日本文化とアメリカ 文化を固定的にとらえています。それに対して,「異文化間的視点」は,文化を可変的 にとらえて,日本のものをアメリカが取り入れて変化し,アメリカのものを日本が取 り入れて変化するように,相互に変化するダイナミックな関係に着目しています。「文 化」につきましては,いろいろな人がいろいろな定義をしていますが,価値観や言動 の様式として社会に一定共有されているものが「文化」であり,佐藤先生は,これを 固定的ではなく可変的にとらえることを強調しておられます。
私はどうかといいますと,「異なる文化の間で成長・発達する人間の形成・育成過程 に関心をもち,自文化をも異文化(他文化)をも相対化して,『第三の見地』に立てる 人間の形成・育成に関わる教育事象・理念」と考えています。自分の文化にも異文化 にも両方に距離を置ける見地の獲得ということが大切です。
そしてこの「異文化間」につきましては,
外国と日本ということだけでなく,大人 文化と子ども文化,男性文化と女性文化,都市文化と農村文化,伝統文化と西洋文化, 土着文化と外来文化の間というように広く捉えることができると考えています。日本 の教育は,古来からの外来文化と土着文化との間で成立しています。この意味で,「間 (あいだ)」という概念は,日本文化の真髄であると思います。さらには,「教育」の 営み自体が異文化間での営みであるとも見られます。大人文化と子ども文化との不断 の葛藤の中で,教育は営まれています。そして,根本的には,人間は「異文化間的存 在」であり,「あれかこれかの間で生きている」・「生老病死の間で生きている」と考え られるのではないか思います(「異文化間教育学の構想」『龍谷大学教育学会紀要』龍 谷大学教育学会,2002年参照)。このように異文化間教育の概念をより広く捉えること によって,事象の問題性や見方をより広くとらえられるようになると考えています。
4 異文化間教育に関する知見と課題
ここで,今までの私が調査や研究で見い出してきたことをご紹介したいと思います。
まず(1)「帰国子女のアイデンティティの変化」(表1,図1)につきましては, 111名の帰国子女の帰国後10年間のアイデンティティの変化を調査し,特に「最 初の型」と「最後の型」を比較しました。帰国子それぞれのタイプを説明しますと,「滞 在国型」は,滞在国の文化に自分のものの見方・生活様式の基準があり,滞在国に帰 属意識(アイデンティティ)があるタイプであり,「削除型」は,滞在国で身につけた ことを次々に捨てていくタイプ,「両立型」は,滞在国と日本社会との両方の文化を使 い分けていくタイプ,「日本型」は,日本社会に基準があるタイプ,そして「普遍型」 は,どのような文化にも親しみがもてて,実際にそこで生活できると思っているタイ プです。このようなタイプが帰国後10年間にどのように変化するかを分析しますと, 帰国時に「滞在国型」であってもそれを維持することはできずに,結果として「両立 型」や「普遍型」に移行してしまっています。このことから,日本社会では異文化は そのまま保持されることなく,せいぜい“使い分け”られるか,「普遍」の中に薄めら れて残されることがわかります。
また,(2)「日本文化の変容パターン」(図2)として,滞在国によって日本文化が どのように変容するかを,「日本文化の放棄」と「日本文化の固執」,「現地文化に同化」 と「現地文化からの遊離」を軸として4象限に分析して図式化しました。先進文明国 では@「同化型」,同化圧力の強いブラジルやタイではA「折衷型」,東南アジアや開 発途上国ではB「維持型」,そしてC「第3の文化」・「コスモポリタン」の型を分析し たわけですが,それぞれが一定範囲を逸脱しますと,D「現地人化」,E「分裂型」, F「隔離型」,G「根無し草型」という“病理”の型になることを示しました。
さらに,(3)「日本人学校児童生徒の現地への態度」(表2)は,マレーシア・中国 ・オーストラリアの日本人学校の先生方に児童生徒の現地への態度について質問して 得られた結果ですが,マレーシアでは,日本人としか付き合わない傾向があり,中国 では現地を「下に見る」傾向があること,そしてこれらのどの地域でも,現地の人々 の生き方に共感したり,宗教に関心をもつことにまでは至っていないことが数値的に 明らかになっています。
そして,(4)「異文化間教育の視角」(図4)は,江淵一公先生が分類された「異文 化間教育の構造類型」(図3)と(2)で示しました「日本文化の変容パターン」を接 合した図式です。江淵先生は,『異文化間教育学序説−移民・在留民の比較民族史的分 析』(九州大学出版会,1994年)で,a.現地の文化と交わろうとしない「文化分 離型」,b.家庭では日本の文化,学校ではアメリカの文化というように,異なる文化 が交差している「文化交差型」,c.日本人がアメリカに入国してカルチャーショック を受けながらもアメリカに適応するが,帰国の際にまた「リバース・カルチャーショ ック」を受けて日本社会に適応するというような「文化転換型」を分類されました。 私はこれに,d.現在の日本人学校のように,現地教材などの異文化を添加するよう な「異文化添加型」と,e.第2次世界大戦前の日本人学校のように,臣民教育を強 化するような「自文化補強型」を付け加えるとともに,「日本文化の変容パターン」で 見い出しました@〜Cの型を接合しまして,図4を作成しました。「同化型」は「転換」 にまで至る型,「折衷型」は「交差」までの型,「添加型」は「交差」の入り口に留ま っている型,「維持型」は「分離」のままの型,「補強型」は「分離」が強化された型, そして「メタ型」はこれらを超越した型であることを表しています。海外帰国子女教 育や外国人子女教育,留学生教育などを見る際に,対象の子どもや留学生がこのよう なタイプのいずれかにあることを認識して対応することが,異文化間教育にとって必 要なことではないかと考えています。
このような異文化間教育に関しての知見に通底する課題を,次にお話したいと思い ます。
まず,1)異文化共生をはばむ日本社会のしくみについてですが,日本社会は日常に おきまして,異文化についてあまり意識せず,人と人とを「文化」によって区別せずに, 和気あいあいとした家族的なつながりを考えています。これは,仲間・間柄のつなが りによる“定住社会”の維持,「ムラ」の構造の保持ということですが,この社会関係 が異質な文化を排除する心性と連関しています。したがって,お互いの「文化」の違 いを認め尊重する姿勢が,今後はますます求められると思います。
そして,2)「文化の高低観」の克服という課題があります。日本社会は古来,外来 の「高い」文化の無限包容的な“表面的”摂取によって社会適応を図ってきましたた め,文化的に「高い」ものへの憧れとそれへのコンプレックスからの敬遠がある反面, 「低い」ものへの蔑視と同化・併呑という心性があります。その結果,中核の固有の 伝統文化と周辺の異文化という構造が維持され,異文化は実際には“飾り”でしかな い場合が多い社会になっています。また,タテマエでは“平等性”を唱えながら,ホ ンネでは“階統性”の意識を根強くもっているという二重構造になっています。その ような文化観の克服が異文化共生社会には必要です。
このことと関連して,3)近代化にともなう,西洋文明への志向とアジア蔑視の克 服という課題もあります。E・W・サイードは,『オリエンタリズム』(平凡社,1986 年)の中で,「オリエンタリズム」とは,オリエント(東洋)を支配し再構成し威圧す るためのオクシデント(西洋)の様式としていますが,これには「顕在的オリエンタ リズム」(社会・言語・文学・歴 史・社会学等で表明された見解)と「潜在的オリエ ンタリズム」(無意識の確信)があるとも言っています。アジアでいち早く近代化を成 し遂げた日本には,このオリエンタリズムが今なおあるとともに,“オクシデンタリズ ム”というべき,西洋への憧れ・偏見・ステレオタイプも根強く残っています。Kの ことは,青木保著『異文化理解』(岩波新書,2001年)にも書かれていますが,このよ うなアジア観の克服も重要です。
これらの課題についての展望としましては,日本人は現実の“状況”に応じて揺れ 動き,お互いの間での和合の停泊点を模索ながら相手との「よい関係」を形成・維持 しようとする傾向がありますので,そこに異文化共生の光明があると私は考えていま す。
5 国際理解教育の理念と実際
では,時間もなくなってきましたので,本日のお話のまとめを簡単に行いたいと思 います。
まず,1)国際理解教育は異文化間教育であるということです。アイデンティティ と職業達成ということ考える時,日本国民であるとともに国際人ないし地球市民とし ての教育が求められます。職業教育でも国際社会での職業教育が必要になります。社 会関係でも,上下関係や縁,遠慮と察しと以心伝心,間柄といった一元的社会での関 係の維持・強化から,個人主義,契約,率直な自己表現・意見交換といった多元的社 会の関係の構築が求められます。そして,礼儀・義理・人情・恩義といった伝統的な 価値から,対等な交流・友好・合理性・公平・正義といった価値との間をよく考えて いかなければなりません。異文化を飾りにしないために伝統文化をよく理解しておか なければ異文化は取り入れられないと思います。今までは「能ある鷹は爪を隠す」と いう意識が寛容でしたが,これからは,その場に応じて全体に貢献するという意味で も,自分の意見・能力を表現する必要があります。そして,単眼的思考から複眼的思 考に移行し,社会関係や文化(価値観)を相対化して捉えることが重要になると思い ます。
また,2)国際理解教育というと特別な教育領域があるのではなくて,国際人とい うのはコミニケーション能力があって,表現力があってなどといろいろと定義されて いますが,それは本来人間がなすべき方向であって,「本来的な教育」のあり方ではな いでしょうか。
そして,3)異文化間教育や異文化体験で伸びる人間性として,a.より広い視野 でより的確な判断のできる子ども,b.より豊かな情感をもった子ども,c.よりね ばり強い意志をもった子ども,d.より広く,より深く人間を理解できる子ども,e. よりよく社会に適応できる子ども,f.考え方や感じ方の異なる人々と協働して問題 解決により取り組める子ども,g.「異文化間的存在」として生きられる子ども,など が挙げられると思いますが,相手と自分を双方向的に,より広く,より深く見られる 子どもは,異文化体験を深めることによって養われるのではないかと思います。
4)としまして,“ヨコの”(空間的)国際理解教育(現在の生活・文化・事物につ いての外国・異文化との相互交流・相互依存の認識と理解にもとづく実践)と“タテ ”の(時間的)国際理解教育(これまでの生活・文化・事物についての外国・異文化 との相互交流・相互依存の認識と理解にもとづく実践)をすることによって国際理解 教育がより広まり,より深まることを申し上げたいと思います。
そして最後に,5)国際理解教育は,日本の学校教育再生の跳躍台であり,改善の きっかけになりうると考えます。例えば,不登校・いじめの克服への一助として,異 質との共存・共生が重要ですし,国際理解教育の教育内容や方法の改善や探究は,教 育一般に対しても連動してきます。また,子どもの発達段階への配慮がより精緻にで きるのではないかと思います。受験学力に匹敵して,異文化体験が新奇な着想や異文 化間リテラシー(異文化間的視野で読み解く力)を身につけることにつながります。