───────ローマ日本人学校での取り組み──────────────────
津山市立高倉小学校 教諭 櫻井 敬明
1.ローマ日本人学校の地理・位置の紹介
ローマ市は,北緯42度・東経12度に近い所に 位置し,緯度的には日本の函館辺りに相当します。 青空の多い町で,春と夏はほとんど毎日が晴れです。 夏の気温は40度を越すこともありますが,電気事 情が悪いので,エアコンはほとんどありません。雨 季は秋から冬にかけてで,何日も雨が降り続いたりします。雪はほとんど降ることがあ りません。
空港は治安が悪いと聞いていたので,妻は3人の子どもに腕輪をつけていました。イ タリアに行けば必要な物は買えるだろうと考え私達は,ダンボール箱6個で赴任しまし たが本当になんとかなりました。この最少記録は現在も破られていません。イタリアに 着いた次の日は,もう早速,仕事でした。宿泊学習を行う場所の下見ということで,高 速道路で2時間半ほどの湖に出かけました。
学校のある地域はモンテサクロと言い,街の中心部から北東に車で20分ほど走った 所にあります。過去には貴族の別荘地だったらしく,ローマでは珍しく,一戸建ての家 も少しあります。学校の大きさは,過去に教会の宿泊施設として使っていた物を使用し ていますので,さほど大きくありません。教室は10人も入るといっぱいです。運動場 もミニサッカーのコートが一面とれるぐらいです。その狭い所に幼稚園から中学部3年 までの約60人程の子ども達が生活しています。
2.学校での取り組み(大きな行事)
運動会は,全日制,補習校,幼稚園部の3校に加えて日本人会の方々も参加します。 会場は,学校の運動場では狭いので,スタジオオリンピコ(ローマオリンピックの主会 場)の近くの芝生のグランドを借りて行います。
宿泊学習は,毎年夏休み前に行っています。1年目は,ブラッチャーノ湖の中に浮か ぶ小島に泊まりました。高学年以上は5泊6日,低学年は2泊3日でした。グループ毎 でペットボトルのいかだを作り,湖に浮かべことが思い出です。高学年は,ヨットや乗 馬をしていました。2年目は,海沿いの町で行いました。高学年は,ドラゴンボート, 低学年は,森探検などをしました。3年目は,山に行きました。アドベンチャーオリエ ンテーリング,飯ごう炊飯などをしました。この長い時間を子ども達と過ごすことによ り,子どもと教師の絆が深まります。この学習では,現地のイタリア人スタッフに協力 してもらって取り組みました。
文化発表会は,毎年10月に行いました。音楽発表と劇が中心です。中学部は,イタ リア語や英語での主張を行いました。私が関わった劇としては,浦島太郎,裸の王様, 火垂るの墓です。見事に演じるので本当 に見応えがあります。
スキー実習は,宿泊学習と同じく高学 年5泊6日,低学年2泊3日の長丁場で す。初めてスキーをした1年生の子もリ フトに乗ってスイスイ下りてこれるよう になります。縦割りの能力別の班編成で 取り組んでいます。これのおかげで,私 のスキーの技術も格段に進歩しました。それと同じように能力別班編成で行っているも のに,水泳実習があります。
これらの,大きな行事はプロジェクトが組まれてプロジェクトリーダーのもと,みん なが協力して取り組むシステムのなっています。
3.国際交流の取り組み
@ コケッティ小学校との交流の始まり
様々な事情からなかなか交流校が見つからなかった時,イタリアで剣道をされていた 派遣教員の友達の通っている学校は,ということでそこに決めたようです。交流を通し て学んだことは,「どんな申し込みでも,積極的に参加する姿勢」「イタリアらしく,前 もっての計画にとらわれ過ぎない」です。
A 自分が交流担当になってから・・・(2000年度)
最初の仕事は,5月7日(日)にあった卒業生保護者主催の「みんなで星空を散歩し よう」に参加したことです。しかし,プラネタリウムなどの説明が当然イタリア語なの で,「まいったな。」と感じると同時に,「イタリア語を勉強しよう。」と思いました。
土曜日のコケッティクラブの講師としている校長先生の手伝い及びイタリア人の保護 者が主催してるクラブの見学に数回参加した後,5月27日(土)は,クラブの発表会 でした。踊りや劇などの発表が人がどう見るか気にするでもなく,本当に生き生き活動 している姿が印象的でした。
さて,時期は少しさかのぼりますが,5月25日(木)の9時ごろ,コケッティ小学 校の保護者会会長のクラウディオさんが,来校され,昨年度に引き続いて,今年もスポ ーツ交流をしないかというお誘いがありました。昨年度は,サッカーで全敗しましたの で,今年は日本人の得意なソフトボールでの対戦となりました。結局6月と10月の2 回,楽しい会が持てました。スポーツの後は,会食もでき,お互いに知っている歌など も飛び出し盛り上がりました。10月の方には,保護者の方も数人参加してもらい,今 後,もっと参加が増えればいいなと思いました。
B 再び交流担当になって・・・(2001年度)
5月は,例年通り,クラブの講師として参加,クラブ発表会の見学がありました。こ れは,校長先生のご尽力が本当に大きかったと思っています。このクラブ見学は,新派 遣の先生方にコケッティ小学校を知ってもらう機会にもなっています。
さて,この年の保護者の方との交流です が,1回目は6月にサッカーをしました。 日本人学校保護者・生徒の参加も徐々に増 えにぎわってきたなと感じました。汗を流 した後のピッツアもおいしかったです。2 回目は,11月にありました。今回は,サ ッカー,バスケットにバレーボールと保護 者の方々が参加できる種目も大幅に増え,参加の数が飛躍的に伸び60名近い日本人の 参加がありました。コケッティから友情の証のトロフィーをもらったり,数十発の打ち 上げ花火のアトラクションを秘密で用意してくれていたりと,クラウディオたちの温か さがじんと伝わりました。「自分自身もこんなふうに行動できる人になりたいな。」と言 葉を越えて教えてもらったような気がします。
C 2年間を振り返ってみて
改めて文章にしてみると,多くの方々に助けられてきたことが実感させられます。ど れ一つをとっても私一人ではできないことばかりです。そして,どの活動を振り返って もここローマでしかできなことばかりだし,その一つ一つが本当に楽しかったと正直思 えます。
さて,今後の課題について書いてみます。
長期的に見て,なんとかコケッティの保護者と日本人学校の保護者がお互いにもっと 身近になってほしいと思います。今までは,コケッティの保護者と日本人学校の教師と の交流が全面に出過ぎていました。各クラスの保護者代表もクラスの行事もない,今の 状況では苦しいのですが,コケッティ小の保護者と日本人学校の保護者が直接交流を進 めていけるようになるのが理想です。それには,コケッティ小学校の中に保護者が簡単 に入れないなどの問題もありますが,例えば,お互いのバザーの時は,もっと参加でき る体制を組むとか,コッケッティの子どもたちが来校する時は参観日にするとか,もち つき会の時は,中学生が例年やってくれているもちをむす作業を母の会に依頼するなど, もっともっと交流している姿を見てもらえたらと思います。コケッテイ小との交流が, 今後ますます発展していることを期待しています。
D 自分が担当した学年での交流を振り返って(1999年度,3年生)
私が赴任した当初は,総合(ローマの時間)のスタートの年でしたので,何もかも手 探りの状態で行っていました。最初は3学年合同で学習を進めていくのは初めてでした ので,グループを作りお弁当を一緒に食べたり,学校に実る果物を調べたり,スシーナ からシャーベットを作ったりしました。その前から,コケッティとの交流は定期的に行 っていたわけですが,この年からはローマの時間に交流も位置付け,11月のお祭りに コケッティを招待しました。その他には,宿泊学習に向けての取り組みもローマの時間 で学習を進めました。その年は,湖の中の島で宿泊しました。水辺での活動に向けて, ペットボトルの船,水鉄砲,チーム旗,魚を捕まえるしかけ(ペットボトル)などを作 って持って行ったのを懐かしく思い出します。高学年は,日本文化紹介として,みたら し団子を作りイタリア人に食べてもらい,アンケートなどをしていました。また,イタ リア語会話の時間も週に2時間独立してありました。私はその時間が偶然空いていまし たので,毎時間参加させてもらいました。3学年を縦割りしてあり,能力別クラスに分 かれていました。私は学期毎にクラスを変えました。おかげで,最初は数字も満足に数 えられなかった私にとってはいい勉強になりました。しかし,反面,文法中心の学習が 多く書くことも多かったので,使えない,生活に結びつかないイタリア語会話という反 省もありました。その他には,3年生の社会科で校外学習も多く設定でき,子ども達に とってもよい体験になりましたが,私が学校周辺の様子を知るよい機会ともなりました。
E 自分が担当した学年での交流を振り返って
(2000年度,1年生)
この年はテーマも「マンジャーレ」ととても 分かりやすく,1年間がとても充実していたと 感じています。例えば,ジェラート屋に行く単 元だと,教師が事前に3ヵ所を下見しメニュー などをもらってきます。能力別クラスで会話の 練習をします。次におもちゃのジェラートやお 金を使い,ロールプレーをします。店員はイタ リア語講師です。その後,まとめを写真などを使い作るという流れを年間を通じて行え ました。何人かの先生から,低学年が一番イタリア語を使っているとか,イタリア人の 前で物怖じしない態度を誉められました。この好結果を生んだ大きな要因は,テーマだ と思います。食べ物は,お金を使って買うということは,店の方もきちんと客として扱 ってくれます。練習した会話を少し変えるだけで,何度も使えます。その結果,自信が つきます。学校周辺には食べ物を売る店はたくさんあります。その利点を生かし,小人 数のグループで効率よく校外学習が組めます。また,その年に「マーレソーレ」もオー プンし,ピッツアを親子で焼かせてもらったこともいい体験になりました。その他にも, お掃除のパオラのさんによるお菓子作り教室,コケッティのお母さんによるパスタ教室 (日本人学校保護者の方も多数参加)と本当に多くの得がたい経験をつめました。10 月には,ローマ見学で行ったフィウミチーノ空港でも食事をしましたが,教師を頼る子 が一人もいなくて,子ども達の成長を実感しました。また,今年もコケッティを招いて の「お祭り」をしました。今年は,日本人とイタリア人のグループで様々な遊びをぐる ぐる回りました。言葉は通じなくても,身ぶり手ぶりで伝えようとする姿が多く見えま した。帰りがけに,シスターのエレナが「これから,本当の交流が始まった。」と嬉し い一言を残して帰って行きました。コケッティが招いてくれている「カルネバーレ」に 1,2年生に加えて3年生が行くようになったのもこの年からです。イタリア語の歌も たくさん練習し,会に参加することができました。最後にはローマ日本人学校での「全 校カルネバーレ」も楽しく催せました。
F 自分が担当した学年での交流を振り返って(2001年度,4年生)
今年は高学年ということもあり,自分たちの身近な地域から少し足を伸ばして出かけ ることができるように取り組みました。例えば,路線バスを使いネロの黄金宮殿やカタ コンベに出かけました。選んだ理由は子ども達の興味を引きやすいもの,なかなか家族 では出かけない所,などです。事前学習を行い興味が広がるように心がけました。また, 人数が減った3学期には,放送局,大統領官邸などを中学部と合同で見学することもで きたことは,来年以降のローマの時間のあり方にも一つ提案できたかと思っています。
また,今年は「手作りジェラート」を体験でき,それが他の学年にも広がるという嬉 しいこともありました。これも,情報はコケッティからだったので,日頃の交流のおか げかなと思いました。また,今までなかった試みとして,コケッティの幼稚園にも出か けることができ,楽しく交流ができました。もう一つの新しい試みとしては,合同英会
話の授業を行えたことです。今年から,モジュ ール授業を行い英語にふれる機会を増やしたの ですが,使う場面がないことが悩みでしたが, それに向けて一つ機会が増えたかなと思ってい ます。今後,お返しに日本人学校で英会話の授 業というのもどうかなと思います。お互いに母 国語じゃないものを使うというのもおもしろい と思います。また,一年間を通して,様々なメ ルカートを見学して四季によっての違いを各自 の課題にした調べ学習もできました。また,少人数の利点を生かして,6年生が「アズ ーリ代表への手紙」を渡す,5年生が「消防署へお悔やみの千羽鶴」を渡す,4年生が コケッティへ「ナターレカード」を渡すなど,それぞれの学年に応じて取り組める部分 があったのもおもしろかったなと思っています。「ローマ見学」の時には,「子ども博物 館」に出かけて行き,楽しく遊べたのも思い出に残っています。2月には,任意でした が,演劇鑑賞「ピノキオ」にも合同で見に行くことができました。また,自分の学年で はありませんが,中学部もコケッティ小の卒業生が通う中学校との交流も進み,文化発 表会を見に来てくれたり,英会話の授業を合同でしたりと今後の交流につながりそうな 出来事もありました。
G 3年間を振り返ってみて
日本人学校の教師として,子どもたちに応じた学力・個性の伸張をはかることは当然 の仕事として取り組むわけですが,やりたいこととしては,その置かれた地域でしかで きないことをしたいと思って,私はローマに行きました。そして,3年間を振り返って みると,まだ,やってみたかったなということはありますが,本当にいろんなことを体 験させてもらったなと思います。よく,これだけ多く,自由に出かけることができたこ とに自分でもびっくりします。そして,それには多くの人に支えられていたんだと実感 させれました。自分は本当に幸せな3年間を送らせてもらえたなと思えます。
(記録者 岡山牧石小学校 教諭 和気 敬二)