「アルゼンチンからの帰国報告」 ーアルゼンチン文化にふれるー
岡山市立御野小学校 教頭 森 英志
以前、「住んでみたアルゼンチン」という題の本を読んだことがあった。その著者によると,アルゼンチン・ブエノスアイレスは大変住みにくい国ということであった。ほとんど予備知識もなく,この悪印象や日本から最も遠い国ゆえの不安を持って赴任した。しかし,私たちにとって「住んでみたアルゼンチン」は,多少の問題はあったが,住みがいのある魅力的な国であった。ここでは,日本人学校とブエノスアイレスでふれたアルゼンチンの文化を少し紹介したい。
1.ブエノスアイレス日本人学校
平成10年度,派遣の年が創立30周年であった。児童・生徒数が3年間で半減した。教頭として,最も心を砕いたのは,緊縮財政の中で,いかに教育効果を上げる予算執行を行うかであった。校長といつも頭をひねった。教職員の協力体制・職務への使命感は,派遣教員・ローカルスタッフとも大変よく,3年間楽しく勤務できた。治安面・自然災害の面でも,前回派遣のフィリピンより問題は少なく,危機管理にも特に問題は生じなかった。
2.タンゴとバンドネオン(Tango y Bndoneon)
私は,音楽とか踊りとか,右脳に関する発達が大変よくない。が,現地理解を進めたいと,能力のなさを忘れて踊りに挑戦した。休日の夕方になると,近所の公園には数十人の老若男女が集まりタンゴが始まる。見物する人も大勢。誰でも参加でき,初心者にはステップを教えてくれる。私たち夫婦も輪の中に入る。これをきっかけに少し習って見ることにした。しかし,場所を変え,先生を変え挑戦したが,結局落ちこぼれてしまった。
タンゴの曲を弾くとき,グループの真ん中で,もの悲しそうな音で奏でるアコーデオンに似た楽器がバンドネオン。もともと戦前のドイツでつくられ,大西洋を渡ってきたそうだ。張り切って1台購入し,挑戦することにした。教えてくれた先生はすばらしかったが,これまた大変難しい楽器で,1曲もマスターすることなく投げ出してしまった。バンドネオンは,今,我が家の宝物として鎮座している。
ブエノスアイレスでは,年1回タンゴ週間があり,行政がタンゴの奨励と普及に力を入れている。現地校でも,小学生からカリキュラムに取り入れているところもある。
3.フォルクローレの踊り(Danza de Folklorica)
「コンドルは飛んで行く」は南米の代表的なフォルクローレである。このフォルクローレには多くのものにダンスがある。アルゼンチンの広大な牧草地パンパの牧場で牛馬の世話をする男達がガウチョである。フォルクローレの踊りは,もともとこのガウチョたちが愛する人に自分の気持ちを分かってもらいたいと踊ったことに始まるそうだ。
このダンスに興味を覚え,日本でいう公民館,カルチャーセンターで習うことにした。但し,場所は小学校,時間は夜。学校施設開放というところか。市の主催なので無料。講座はダンスのほかにいくつもある。もちろん日本人は私たち夫婦だけ。受講生は30人弱,年配の方が多かった。タンゴに比べると庶民的。日本の盆踊りに近いが,季節を問わず音楽と場所さえあれば,すぐに踊りが始まる。講師の先生も受講生も私たちに非常に好意的だった。能力のない私もなんとか2,3の基本ステップは覚えることができた。年1回の発表会にも出演し,苦手なスペイン語の壁を越えて,たくさんの友達を得た。日本人ということには関係なく,いつも温かく接してくれた受講生の心の広さはうれしかった。
日本人学校でも,運動会の全校種目の一つとして,毎年,フォルクローレの踊りに取り組み披露している。
4.おわりに
フィリピンとアルゼンチン,2つの国に暮らしてみて,確かに文化,習慣,伝統などそれぞれ異なる。しかし,一人一人の人間として,日々ゆとりを持ちながら,生活を楽しむ姿勢,誰をも受け入れる姿勢,心の豊かさには,国の違いはないと感じた。私たちもそんなゆとりと豊かさを持ちたいものだと思う。