「節日」            玉野市立荘内中学校
                                    教諭 梶田ひろみ
 台湾の1年は,数々の節日(日本でいうなら,年中行事とでも言おうか。)で巡る。そして私の台湾は台中での3年間も,この節日の思い出と共に巡っていった。
 主な節日は旧暦に拠っていて,旧暦1月1日は春が始まるという意味で「春節」と呼ばれ,最大の節日である。新年に玄関などに貼る「春聯」という,縁起の良い文句が書かれた赤い紙や,色とりどりの飾り物などが街角や市場に並び,華やかな雰囲気が新しい年への期待を膨らませてくれる。前日の「除夕」には,必ず一族が集まって祖先に礼拝して夕食を共にする。この日は,遠い都会にいる若者達も,高速道路の渋滞も列車や飛行機の満席もものともせず,故郷の我が家を目指すのである。豪快な「爆竹」の音と共に明けて新年。夜明けまで続く爆竹の音,赴任1年目は寝不足になったが,時代の流れと共に自粛ムードとかで,3年目ともなるとなんだか数が少ないような気がして,もっと豪快に鳴らして欲しいと思うようになるから不思議である。
 春節から15日目には「元宵節」が待っている。平安を祈るこの節日には,各地で特色のある行事が行われるが,その中で私が虜になったのは情緒たっぷりの「放天燈」である。とっぷりと日が暮れた中,手に手に提灯(電池仕掛け)を持った子供たちや大人たちが広場に集まってくる。直径1mはある紙製のミニ気球状の表に,祈りの文句と自分の名前を書き,気球の下部に括り付けられた紙束に火をつける。熱気で折り畳まれていた気球が大きく膨らんだと思うと,あっという間に空に浮き,見る見る暗い夜空に吸い込まれ小さくなっていく。後から後から,絶えることなく人々の祈りを乗せた天燈が夜空に舞い上がり,たくさんの煌く星になる様は,見上げる私の胸を熱くした。
 夏の始まり旧暦5月5日「端午節」の頃は,ますます紫外線がきつくなり,市場には色鮮やかなマンゴーやレイシが山積みとなる。暑さからくる病気や害虫を防ごうと「香包」という,いろいろな物を象った所謂,香り袋のような物をお守りとして子供に持たせたりもする。また,家々の玄関口には,魔よけとして蓬や菖蒲の葉が飾られる。さて,なんと言っても呼び物は「ドラゴンボートレース」である。各地の運河や河川で,竜の飾りがついた手漕ぎボートが,屈強の若者達に漕がれてゴールを目指し集まった群集を沸かす。もともと,昔中国で,わが身を儚んで川に身を投げた詩人屈原を偲んでこの行事が始まったとか,屈原へのお供えとして,川の魚に食べられぬよう笹の皮に包んだ「粽」が始まったとか,端午節に纏わるいわれも多い。ともあれ,夏が始まるというこの日に,「この夏も健康で暮らせますように」と願う人々の思いが,夏の風に実に爽やかである。
 盛夏の旧暦7月15日は「中元節」。祖先の霊を祀る行事である。最も賑やかなのは北部・基隆で行われるもの。夜,花車というか,華やかなネオンと電気仕掛けで動く仏教か道教か定かでない人形が満載のトラックが数十台練り歩き(?)花火が打ち上げられる。深夜には,郊外の八斗子漁港で鐘楼流しが行われる。お神輿ぐらいの大きさの灯篭に火をつけ、炎を上げて燃え盛るのを大人数人が担いで暗い海の中まで流しに行く。日本のそれに比べるとやはり何とも豪快で,エネルギッシュ台湾を感じずにはいられない。
 旧暦8月15日は「中秋節」。盥に水を張り月を映し,玄関先に「月餅」や「柚子」(文旦)等のお供え物と共に祀る。秋とはいえ,依然暑い台湾の夜に月を眺めつつ,焼肉で盛り上がるのが最近の流行のようである。もちろん家族揃って,あるいは知人友人を呼んで大人数で盛り上がるのが台湾流。派遣2年目に台湾中部を襲った大地震は,ちょうどこの中秋節の2日前だった。近所の小学校のグランドにテントを張って避難生活が始まった頃,隣のテントの見ず知らずの台湾の人たちが陽気に始めた中秋節の焼肉の席に呼んでもらい,分けてもらって食べたブンタンは,地震で味わった辛さと現地の人々の暖かさと共に,甘酸っぱい味となって今も忘れられない。
 まだまだ,節日の思い出は尽きない。節日の度に,祖先の霊を祀り手を合わせる人々の姿を至る所で目にした。長いお線香からたなびく街角の煙に,人々の祈りの心を感じたものだ。全ての節日に,謂れや由来・昔話があり,興味の湧く話ばかりだった。自然の中で生かされていることに感謝しつつ,自然と共に心豊かに平和に生きようとした先人の知恵や願いが溢れていて,中国文化の粋を感じる。こうした節日の伝統を受け継ぎ大切にすることは即ち,先人の心を受け継ぐことに等しい。時代が変わっても人間の気持ちは変わらないのではなかろうか。同じ文化の流れを汲む日本では廃れ行くものばかりである。それは心の荒廃をも意味するのかもしれない。文明が進み,便利で合理的なものがもてはやされる中で尚,心の拠り所を失わない台湾の人々が逞しく優しく,陽気な笑顔と共にホントに眩しかった。また,多神が随所に祀られていて,節日同様とにかく年中祈るという敬虔な心を人々は忘れないのである。人として心の在り方,生き方を考えさせられることしきりだった。人が生きていく上で真の豊かさとは一体何なのかと。