「From Okayama Municipal Board of
Education Guidance Division」
岡山市教育委員会指導課
指導主任 服部 誠
岡山市教育委員会指導課に入って3年目になりました。全くの別世界。霧の中を歩くような日々が続き,時おり奈落の底が見え隠れしたり・・・。
前任者の菅野先生から助言や支援をいただき,また,国際理解教育担当ということもあって,この研究会からも指導していただいたり,協力していただいたりして,なんとかやっています。
大きな仕事として外国青年招致事業なるものがあります。簡単に言うと,中学校の外国語の先生として,外国人を迎え入れ,生活や仕事の世話いっさいをすることです。現在岡山市にはJETプログラムでのALT(Assistant
Language
Teacher)が15人,Non-JETのALTが3人います。赴任の手続き(在留資格認定)から,契約,旅費の世話,住居の準備(不動産との契約,家電等備品の準備,公共料金の手続き),日本での生活全般説明,自転車の確保,外国人登録,銀行手続き,生活必需品の買い物,保険関係,税金関係,中学校での英語指導法,悩み相談,事故の相談,健康相談,etc。
日本語ができない,初めての日本訪問者が20人近くいますと,年中問題,課題があります。自転車が盗まれたり,撤去されたりしたときは警察とかけあい,マンションの管理人さんにはゴミの処理や生活態度でよく指導を受け(私が),怪我や病気の時には病院へ通訳にいき,エアコンや洗濯機が壊れたら直しにいき,事故をしたら保険会社や相手との交渉に出向き,セクハラ問題が起きたら学校に行き生活や健康での不安に関してカウンセラーになったり,まあ書き出すとネタはいくらでもあります。日本での生活での言葉の壁
は,国民みんな学習している英語であっても,思った以上に大きいと痛感します。
ただ,このような仕事ができるのも,私がかつて赴任したジャカルタ日本人学校でも同じように,受け入れ班として,インドネシア語が全く分からない日本人家族を受け入れた経験があるからだと思います。もちろん自分も受け入れられたのです。そうでないとなかなか彼らの気持ちを理解したり,配慮するべきことが見えたりできないでしょう。
しかし,ある意味では恵まれています。英語を使う場には不自由しないし,頼りにされているという心地よさがあるし,異文化理解はできるし,今後いろんな国の友人としてつきあえそうだし。人数が多いので個人的に家によんだり,どこかに遊びに行ったりということができないのが残念ですが。
ALT関係の仕事は全体の20〜30%?でしょうか。その他いろいろあります。
国際理解教育推進 ,外国人児童生徒就学関係 ,日本語教育,日本語指導者派遣,子供海外派遣事業,英語教育 ,指導要録・評価・評定関係, 適応指導教室 ラポート牧山関係,適応指導教室設置,教科書採択,標準検査,生徒指導22校担当・・・・とまあ,いろいろやせていただいております。すべてに事業計画,人材確保,議会対応,予算の確保や決算報告,事業の見直しがからみ多忙極まる毎日です。「世界」「国際」「地球」「外国」「英語」「帰国」「インターナショナル」「グローバル」などがつく書類,仕事はすべて私に回ってきます。力不足で行政として十分現場の声に反映できないことを申し訳なく思っています。(おそらく,今読んでいる読者の誰かが私のあとに?????遠くない未来??)
話は大きく変わって
この会報の読者は海外日本人学校・補習校からの帰国された先生がかなり多いと思いますが,帰国後みなさんは海外でのすばらしい経験を生かしておられますか。単なる,誰でもはできない輝かしい思い出としていませんか。みなさんの存在自体が日本の財産です。国際理解教育推進のネタそのもです。海外から帰ってきたことをあまりおおっぴらに話すと,「なんだあいつは・・・」「それがどうした・・・」「いい思いをしてきて・・・」などと思う輩も多いと聞きますが,非常に残念なことです。二度と赴任したことを話すまいと思うような経験をされた先生もおられるかもしれません。もちろん,物は言い様で,へたな言い方をすると悪印象でしかありません。その場の空気を読む,言い方をよく考えることは重要です。いろんな見方考え方の人がいるのは当然,多少目をつむってもみなさんの経験を生かしたいものです。
みなさんは十分外部講師として国際理解を語れる経験とネタをもっておられるはずですから,ご自分のクラス,学校に限らず,他の学校へも積極的に出向いて(招待されればですが)活躍していただきたいものです。今現地におられる先生方はもちろん,これから赴任される先生,希望されている先生もそこのところはよろしく。
私はジャカルタ日本人学校から帰国後,幸運にもいろんなチャンスに恵まれました。校内では,校内研修で講師となり十分話を聞いていただき,TVにも出演させていただき,学区の公民館でも講演する機会をいただき,運動会ではインドネシア音楽とインドネシア体操でプログラムを企画させていただきました。もちろん学級ではインドネシアの楽器で音楽をしたり,インドネシアの歌を教えたり,体操をしたり,いろんな場面で生かすことができました。他の小学校に招待されてインドネシアの話をしたこともあります。
また,インドネシアの歌を3年間勉強していたので,アイフェスティバル(岡山市国際課主催の国際交流イベント)では数人のインドネシア人と共にミニコンサートをしました。岡山大学留学生会館でインドネシア独立記念日のパーティでも歌う機会がありました。国際交流センターでは何度もイベントに呼ばれ,ギター片手に歌いました。(昨年はその場におられた在日インドネシア総領事に喜んでいただき,神戸の総領事公邸でのパーティに招待されました。)
音楽は専門でなく,歌も演奏も素人もいいとこですが,日本人がインドネシアの歌を何曲も歌う,というだけで重宝してもらえるものです。
岡山市にはインドネシアからの留学生や研修生がかなりいます。そのためいろんなイベントがあるということ,また,教科書にもインドネシアのことが出てきますし,日本との関係(ODA,貿易等)が濃いということで,本当にいい機会に恵まれ幸運であると思います。
国によっては学校教育にかかわりが薄かったり,日本との関係が薄いところもあるかと思いますが,国際理解への迫り方は多種多様です。みなさんのすばらしい経験がさまざまな形で十分生かされることを願いつつ。