国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(3)

 平成14年度帰国教員歓迎会

  平成14年6月1日(土)に上記の会が,アークホテルで開かれました。当日は武元会長,熊代元会長はじめ43名の会員が出席し総会の後9人の帰国教員から貴重な現地での体験が報告されて有意義な会となりました。 (バンドン日本人学校から帰国された畦崎先生ローマ日本人学校から帰国された櫻井先生は所用のためご欠席でした)

  元長重人先生は,バルセロナ日本人学校に派遣されました。赴任当初はバルセロナが揺れていると聞いて,本当に地震があるのかと思ったそうですが,校内の情報管理などの問題が起こっていたので,それもすぐ落ち着き,充実した4年間を過ごされたそうです。また,奥さんは3人目のお子さんを出産されて,良い思い出ができたそうです。 




  藤枝茂雄先生は,メキシコ日本人学校に派遣されました。メキシコは岡山と縁が深く代々岡山からの派遣教員が続き在留日本人も岡山出身者が多いそうです。また,メキシコ国民も日本に友好的で,常に笑顔で接してくれるそうです。片や日本に帰国し,あいさつが少なく無表情なのにがっか  りし,寂しいと感じられたそうです。


  乗峯憲悟教頭先生は,カイロ日本人学校に派遣されました。電話の不通や停電は日常的で不便な生活の中にも,バスに乗れば,どこで降りても良いとか,年輩にはすぐ席を譲る,荷物を持ってあげるなどあたたかい国民性だったそうです。また,学校日誌の天気記入欄には,毎日晴れという文字が並んだそうです。




 半澤秀行先生は,ジャカルタ日本人学校に派遣されました。昨年度は,6年生を担任していて,修学旅行の前に,アメリカの同時テロが起こり,国民のほとんどがイスラムのインドネシアは,反アメリカとなり,10月から11月に延期したそうです。また,旅行地のバンドンまで行く鉄道の線路が直前に6qも盗まれて鉄として売られたという事件も起こって,ぎりぎりで実施できたということでした。



 小原久美先生は,上海日本人学校に派遣されました。岡山からの直行便も週3便に増え,益々身近な上海は,3年間で大変化し,日本人学校も500人が900人と大きく 増えたそうです。帰国後,津島と伊島小で日本語教室を担当し,やりがいがあると意欲的なお話をされました。
 
     国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(4)

  田村嘉啓先生は,バンコク日本人学校に派遣されました。バンコクは,大都会で交通渋滞で有名です。しかし,日本 に帰ってタイのことを,ジャングルの中で勉強を教えてい たのかとか,タイ語で教えていたのかと聞かれて,がっく りくることが多いそうです。タイの子ども達は,目つきが鋭いけれど,日本の子は今に満足して覇気がないと感じられたそうです。 


  北川和美先生は,シンガポール日本人学校に派遣されま した。腰痛になった時に,漢方マッサージに行き,たった 20分1000円で,患部が温かくなり治ったそうです。色々 なところで中国3000年の歴史を感じられたそうです。 


  山本敏樹先生は,ペナン日本人学校に派遣されました。現地で3人目の男のお子さんが,誕生したということでした。日本に帰っても,熱帯で育った習慣で,ふとんをかけないで寝てしまうので困っているそうです。


  中川健二先生は,デトロイト補習校に派遣されました。 現地の高校を借りて土曜日に授業をしておられたのですが 安全確保に気を遣い,私服警官を2人採用していたそうで す。アメリカは高速料金が無料の上,ガソリン代も日本の 3分の1で済むため,自動車でアメリカ中を旅行されたそ うです。アメリカを通して,色々な国を知ることができたことも大変良かったということでした。



  


また,先輩の先生方からのお話として 「貴重な体験を風化させることなく,国際理 解教育にがんばってほしい」「国の境があるから世界の人が不幸になって いる面がある,境をなくすことが課題だ」「子ども達の進路指導が,海外体験を生かし て3次元の目でできる」「わずか3年ほどのブランクでも,帰国して時代の波を感じることであろう。これから の子ども達の育成に,よりよく生きる力をつけるためがんばってほしい」などがありました。


  最後に,12月10日久世で予定されてい る,本年度の研究会について,苅田先生から説明がありました。