6月3日(土)上記の会が岡山アークホテルで開かれました。 |
当日は,運動会や参観日のためご都合がつかなかったお二人の先生以外 帰国された全員の先生が参加されました。1時間ほどで総会を終了し神田 会長の開会あいさつで歓迎会が始まりました。まず,来賓の矢掛町教育長 武本会元会長が,人生は予想通りにいかない。しかし,すぐその環境に慣れ その仕事がおもしろくてしかたがないようになる。今後は日本で,国際理解 の推進役として活躍してほしいとお話しされました。次に,海外子女教育・国 際理解教育研究協議会明神副会長が,海外での貴重な体験を家族のアル バムに留めるのでなく,学校や地域,岡山県そして全国の仲間に向かって 発信してほしいとあいさつされました。 |
メルボルン日本人学校から帰国された山本正校長は,現地の教育・文化 理科・自然・森・海岸・現地の人との交流等,大変感銘を受けたということ でした。特に,アボリジニーの楽器ディジュリデューにひかれ,2人の先生 について学び,循環呼吸もマスターして,独特のサウンドを披露してくださ いました。この楽器は,ユーカリの木を,シロアリが自然に喰ったものを切 って作ったもので,オーストラリアの一つのアイデンティティーになっており シドニーオリンピックの開会式でも演奏されたそうです。山本校長は,ご自 分でもこの楽器を制作し,20本以上持ち帰られたそうです。 |
桑本康則先生は,台中日本人学校から帰国 されました。赴任時には地震で倒壊した校舎 に替わって新校舎が多くの寄付によって建て られており,落成式には李登輝総統と握手し たそうです。校舎は,善意に報いるように大 切にピカピカで使用されているそうです。台湾 のモノポリーに登場する地名は全て巡ったこ とや,3,900mの玉山(新高山)に登ったこと, 自転車レースにチームで参加し優勝したこと 等,たくさんの思い出ができたことを話されまし た。 |
|
濱口隆生先生は,香港日本人学校から帰国 されました。サーズが猛威をふるい,家族は同 行できませんでした。機内はガラガラで,香港 に着くとみんなマスクをしており,咳をしたら逃 げていくような状態だったそうです。学校は1ヶ 月遅れでやっと始まりはしたものの,朝検温で 全員の健康チェックをし,みんなマスクをはめて いたので,子どもの顔も覚えられないというこ とだったそうです。今はその病気はどこへ行っ たのか不思議ですね。 |
|
佐藤裕之先生は,ジャカルタ日本人学校か ら帰国されました。3年間にテロは年中行事, スマトラ沖地震も起こって,家族を無事日本 に連れて帰ることが一番のこととされたそう です。インドネシアのことが大好きになると共 に,日本人としての誇り,素晴らしさも感じた そうです。また,奥さんはPTAの役員をしたり 子ども達に,インドネシアの文化を伝えるボラ ンティアに参加したりして,現地の文化を取材 し.大切な財産になったということでした。 |