「義務教育って?、世にあまり知られず息づく夜間中学

                                                全海研・幹事  小林 寿美

101号巻頭言(2015年8月20日発行)

 義務教育就学率100%を誇っている我が国日本において、義務教育機関の中学校を卒業できず、義務教育年齢を超えた人が通う夜間中学。家庭の事情で学校に行けなかった者、いじめで不登校になった生徒や、中学校での学習機会を失った外国人たちの受け皿だ。公立の夜間中学は全国に31校(大阪に11校、東京に8校、奈良・兵庫に各3校、神奈川・広島に各2校、そして千葉・京都府に各1校)しかなく、現在1650人位の生徒が在籍している。
 夜間中学の1日の授業は、5時30分に始まり9時に終わる。授業科目は国・数・社・理・音・美・体・技家・英と昼間部の授業となんら変わらない。但し1時間は40分授業で、1日4時間。2時間目と3時間目の間に給食がある。行事も昼間の中学校と同様である。修学旅行や移動教室、文化祭。体育祭に至っては連合体育大会となり、本校だけでなく都内8校が集まって繰り広げられる交流の場でもある。
 私は東京の夜間学級で約20年間、様々な事情を抱えた生徒たちと共に学んできた。ここで断片的ではあるが、出会った生徒たちのことを振り返ってみたいと思う。
 生徒Aさんは家庭の事情で転校を繰り返し、小学校3年から不登校になった。福祉施設に入っていた時期もあり、そのことを同級生に指摘され学校への足がますます遠のいた。「学校には行きたくないし、施設にも帰りたくなくて街をぐるぐる歩いた」と言う。
環境が変われば通えるかもと期待した公立中学校も3日で怖くなった。ほとんど登校せず3年間を終えようとしていた時、担任の勧めで夜間中学に2年生で入学してきた。私が他の夜間学級から異動し彼女のクラスを持つことになったのは、彼女が3年生になったときだった。口数も少なくおとなしい生徒だが、1日も休まなかった。そして1ヶ月が過ぎた頃、花壇の一部を開墾しトマト・キュウリの栽培を始めると、彼女は興味を示し少しずつ打ちとけていった。そして、「将来、自分の育てた野菜で自分のお店を持ちたい」と、目標を揚げるまでになった。そんな彼女の夢が叶う様に、調理免許が取れる農産高校を薦めた。目標が見えてからというもの努力を重ね、希望校に見事に合格。現在夢に向かって高校生活を送っている。
生徒Bさんは、家庭の事情により2年生の途中でタイに父親と出国。金銭的にも苦しいため現地の学校にも通えず、1年9ヶ月後に「日本の高校に行きたい」と1人で帰国。親族を訪ねるが養育できないと拒否され、自立援助ホームに保護された後、本校に3年生で入学。家庭に恵まれていなかったが誰からも好かれる性格で、クラスにもすぐ打ちとけ、成績もめざましく伸びていった。夏休みも休むことなく補習を続け、都立青山高校に進学した。
 生徒Cさんは、どこか飄々とした自由人の雰囲気をもつ基礎クラスの73才。基礎クラスは日本人2名。ほかは外国からの生徒たちである。「夜間学級はこの4月で2年目だね。私は読み書きができなくてね。少しでもできるようになりたいというのが、入学のきっかけだったね」と彼はぽつりと言う。小学校に上がるか上がらない時に母親が死去。消防署に勤務していた父親は、何かというと彼を殴りつける恐ろしい人だったそうだ。なんで殴られるのかはわからないが、兄弟のうち彼だけしょっちゅう殴られた。そんな父親が怖くなって、小学校3年の時に家出をする。

そう遠くない場所に家を見つけ、そこで暮らし始めた。近所の人の使い走りや雑用をすることで、生活費を手に入れた。 学校にも通わず、叔母や兄弟が迎えに来るとしぶしぶ家に帰るが、また父親から殴られる。そんな状態を繰り返すうちに完全に不登校になってしまった。そんな彼も定年を節目に、本校に入学してきた。日本人でありながら文字が書けない苦しさをバネに、ほとんど休むことなく必死に勉強を続け、文字が書ける喜びを知り得たのである。共通して言えること、それはただただ勉強したいという気持ちだ。だから生徒たちのやる気が違う。彼らはまるで水を吸っていないスポンジ。その吸収力には目を見はるものがある。
 最後にDさんを紹介したい。彼は、母子家庭(母は聴覚障害者)の不登校生徒であった。
家庭の状況により小学校から不登校になり、中学校はほとんど通えなかった。夜間中には3年生で入学してきた。その時の体重は40kgを切っていたであろう。腕は細く体は全体が痩せこけているが、ゆとりがあるサイズの洋服を着用しているため他人からは気がつきにくい。入学当初は無口で、私の質問に対しては首で反応するだけであった。
 彼は、1日も休まず登校をしている。そして毎日美味しそうに給食を頬張る。聞くところによると、母親が帰宅しない日もあるようだ。そんな日は、朝食はもちろん、お金を置いていってもらえないときは昼食すらとれず、一日の食事が学校の給食だけの日もあった。そんな彼にとって、学校の給食が唯一の食事。そんな生活を改善してもらえるよう福祉事務所に相談した結果、週1回は家庭訪問をして生活の安否を調べてくれるとのこと。そんな環境下の彼だが、まじめにこつこつと勉学に励んでいる。目指すは、家から近い距離にある昼間の高校だ。今の彼に一番必要なもの、それは言うまでもなく命を支える食事だ。
私の勤務する職場は、栄養士のサポートで温かい給食をいただくことができ恵まれている。(全国31校の中には、栄養士がいなため簡易給食のところもあったりする。)この温かい給食が彼の学校に来る励みになっているといっても過言ではないだろう。この飽食の時代に、食べることがままならない生徒がいる。彼らのためにまずは生活基盤の安定が急務である。
 私はこの夜間中学で自らの力を見いだした生徒を何人も見てきた。年齢の幅が広く国際色豊か、ひとつの家族のようだからほっとすることができありのままの自分でいられる。そんな夜間中学だからこそ肩ひじをはることなく、マイペースで勉強を進めることができるのだ。
 先日文部科学省が夜間学級への「形式卒業者」の入学を認めた。つまり、ほとんど中学校に登校することなく卒業証書を手にした人でも入学ができるという画期的な法案だ。「現在の不登校の子たちを一見すると、学校に行かずに卒業できてしまう、すごく良い制度みたいだけれど、長い目で見た場合、本当に幸せなことかどうか、私はいつも疑問に感じています。」(『夜間中学校の青春』見城慶和 著より抜粋)とはある夜間中学の卒業生の言葉だ。この夜間学級が1人でも多くの人の学びの場となり、皆の夢が叶う様これからも、彼らの伴走車でありたいと思っている。