児童生徒の視野・思考を広げる為に

 

                               長岡市国際交流センター・センター長  羽賀 友信

                                                     

                                                            

110号巻頭言(2020年1月21日発行)
■グローバル化時代を生きる教育とは
 自分が好む・好まざるに関わらず、世界の中の「日本」、世界の中の「地域」、世界の中の「私」という時代になりました。この時代を生き抜くのに大切なキーワードとして、自分が何者であるかという「アイデンティティ」が重要になります。欧米の価値観の中でモノの考え方や、意見の発表の仕方をよく学び、使えるようにする一方、国内では「日本」という価値観に根差した話し方を身につけなければコミュニケーションが成り立たなくなってしまいます。
 特に来年度から小学校で実施が始まるアクティブラーニングの手法はとても重要になると思います。多様な価値観が一緒になって一つの課題を考えるときには、意見を引き出す「ファシリテーション能力」が必要です。また、感情的に意見交換をするのではなく、「論拠をもって冷静に語り合う」というスキルも求められます。日本の子どもは往々にしてディスカッションをすると、論拠が立てられず人格否定と受け止めて、泣き出す子どもが多々見受けられます。ディスカッションにおいては論拠を論理的にぶつけ合ってお互いに進化し合うという道筋が大切ですが、情緒的にとらえてしまうと、感情論の話になり、ディスカッションが成立しなくなります。また、強い意見を言った子がいると、私も同じですという意見を次々に述べていく傾向もよく見られます。ワークショップに参加してもこの傾向のままでは参加する意味がなくなり、明確な自分の意見を言う能力は育成されません。
 私もこれまで66か国に関わり、いろんな場で講演をしたり、ワークショップをしたりしてきましたが、基本的に日本のように前置きはせずに、まず結論を言って、次になぜならばという論拠を立てるようにしてきました。海外で前置きを長くして話すと情緒的と言われて、結論を言うまでに飽きられてしまう傾向が強くなります。「私はこう思います」と言って、なぜこう思うんだろうと考えているところに、「なぜならば」という論拠をぶつけると理解が進みやすくなるのです。この2つの話し方を切り替えスイッチで使い分けられる子どもを育成することが、教育の重要な役割になってきます。

■アイデンティティの尊重
 私たちが外国人を見ると、黒い人はアフリカ系、白い人は欧米系と短絡的に捉えてしまうことが多いですが、これは思い込みという偏見であり、移民社会・多国籍社会が当たり前の国家においては、その人の見かけではなく、どの価値観、どの文化的要素を大切にしているかが「アイデンティティ」になってきます。ですから必然的に、あなたはどんな価値観を持ってどんな考え方をし、どんなアクションをしてきたのかということをうまく引き出し、その価値観に合わせて話をしていくという、グローバルなコミュニケーション能力が非常に大切になるわけです。これは、ベースに「みんな違う」という価値観があり、それを本質的に引き出して尊重することが問われます。例えば、イスラム教徒に向かってお酒の話をしても、神様がお酒を禁止している価値観の人には興味もわかない話であり、違いの認識をすると同時に共通のものを探し、そこを通してコミュニケーションを成立させるということが重要です。
 私たちは運良く海が国境という島国で、長い間単一の価値観で社会を育成していきました。それは、世界に比類のない質の高い文化を作り上げることになりましたが、一方で、人々と協調することが優先され、人と違うことを怖がり、人と違う人を嫌うという傾向を持つようになってしまいました。この根底には、みんなと同じでないと減点されていく文化が流れているように思います。黙って座っていると花丸がつき、人と違うことを主張することによって段々と減点され、弾かれていくという傾向が非常に強くなっています。他民族の「みんな違う」という価値観は、あなたは何を考え何を大切に思い、どんなアクションを起こしてきたかを引き出し、それがいくつも重なったとき、はじめて信用につながるのです。いわゆる性悪論に近い考え方かもしれません。日本ではまず信用する(性善論)という文化を持っており、この二つを使い分けるという能力はとても大事になってくると思います。

■多言語文化の世界
 日本では英語を勉強するという、英語至上主義という考え方が一般化されていますが、一歩日本から出てしまえば、英語しかしゃべれないという価値観の中に入れられてしまうという現実があります。アジアを見ても、シンガポールのように、マレー系、インド系、中国系の人たちが多様な価値観でコミュニティを形成しており、共通語として英語が10年をかけて定着しました。必然的に、多文化の価値観を理解したうえで、多言語を使う能力に秀でた人がたくさん育っています。また、言わなくてもわかるだろうは通用せず、言わなければ理解してもらえないという考え方も同時にあります。ですから、自分の考えを論拠とともにはっきりと意図が理解できるように、咀嚼して話す能力が問われるのです。

 EUでも教育指標のなかに三つの言語の獲得というのが入っていますが、昨今マスメディアに取り上げられている環境活動家グレタ・トゥーンベリさんは、国連でも流ちょうな英語で自分の考えを発表し、世界に大きな問題提起をしていますが、彼女の母語はスウェーデン語です。国連では、敵国条項にある日本、ドイツ、イタリアの言語は入っていませんが、六つの言語が公用語として認められています。英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語です。これらの言語を使いこなすということは、その文化的背景を深く理解して言語を扱う、多文化的多言語の能力になります。
 子どもたちが英語で海外の人に話しかけるチャンスがあったとしたら、せめて挨拶は相手の言語でできるようにしておく必要があります。私は公務でいろんな国に行きますが、必ず現地の言葉で挨拶をするようにしています。挨拶には三つの意味が含まれています。一つは、相手の言葉を使うことで、アプローチしていることを示そうとしており、敵ではないということを伝えることです。二つ目は、相手の文化の物差しが自分の中にないわけですから、フルネームを言った後で相手が覚えやすいニックネームで呼んでもらうようにし、名前を覚えてもらうということです。三つ目は、「人類が住んでいて最大の積雪の地域「雪国」と呼ばれる新潟から来ました」と言ったり、相手が興味を持ちそうな話をすることです。すると、「冬はどれくらい雪が降るのですか。」「車はどうやって走るのですか。」「生活はどうしているのですか。」など、多様な質問が飛び出し、その後のコミュニケーションが非常に取りやすくなるのです。
 私は名刺にも工夫を凝らしています。外国人が何人かの日本人から名刺をもらっても、どの人のものか分からなくなってしまいますが、私は手書きの似顔絵を入れることで、私宛にメールが来ることが多いです。それは名前を憶えてもらい、面白いやつだ、今後も付き合いたいと思ってもらったうえで、この連絡先につなげばいいんだと考えてもらえるからです。また、一部に相手の文化に共通する自分の写真を入れて話題作りとして使っています。この名刺の写真はカザフスタンの大臣とお会いした時に使ったものですが、ラクダ文化という共通項に配慮して入れました。おかげさまで、その後の話が弾みました。さらに、日本人は一番最初に名刺を配ることが多いですが、それは自分の肩書を相手に知ってもらうという役割からです。しかし、私が体験した世界では、名刺は最後に交換します。いろんな話をした後で、今後もこの人とずっと付き合っていきたいと思われた時に初めて名刺を交換します。ですから、私は「挨拶」にとても力を入れるようにしています。

■絶対解の世界から納得解の世界へ
 こうだからこうだというシンプルな「絶対解」が出せない、多様で複雑な価値観がグローバル化の世界だと思います。そこで、子どもたちが非常に重要となる能力の一つにクリティカルな(批判的な)考え方があります。これは、鵜呑みにするのではなく、他の考え方はないのかを考え、多角的な視点から物事を考察する能力です。正解を出しにくい社会を生きていくうえで、もっとも重要なキーワードだと思います。では、どうすればよいのか。実は多様な視点、多様な価値観、多様な意見を出し合う中で、お互いに納得できるところを見つけていく「納得解」の世界をつくることです。それが前に述べた「ファシリテーション能力」で、相手の意見をうまく引き出す力となります。
 自分の想いを明快な言語に置き換える「言語化能力」、相手の価値観を尊重してわかりやすく伝えていく「プレゼンテーション能力」、これらの総合したものが「コミュニケーション能力」と呼ばれます。ここに「多言語能力」がさらに求められてくる能力となります。英語(を)学ぶから、英語(で)学ぶ世界に、価値観は広がっているのです。好奇心さえあれば、インターネットを利用し自分が腑に落ちるまで検索をしたうえで、専門書で深く追求することができる便利な時代になりました。学校の学びは100点が上限ですが、自らの学びは500点、1,000点を超えて、無限大の学びへとつながります。この「好奇心」をどう育てるかがとても大きな課題だと思います。それには、知っている力を評価する教育から、知り、深く考え、行動を起こすという教育に切り替えなければなりません。日本に蔓延る無関心から、誰もやらなきゃ自分がやるという意識を持った子どもたちを育てるオーガナイザー教育も重要になります。
 基本的に子どもの三つの力が大切だと思っています。「感じる力」、これは好奇心でもあり、家庭の役割です。二つ目は、「深く考えて論理的に組み立てる力」、これは学校の役割です。三つ目は、「行動して自分という人格にする力」、これが社会の役割になります。これらは、SDGs(持続可能な開発目標)の解決にもつながる重要な資質になると思います。今、時代が大きく変革する中で、IT教育や金融教育の需要も高まっています。日本の子どもたちが自立してたくましく生き抜いていけるように、家庭、学校、社会が連携して教育を支える必要性を強く感じています。
■プロフィール
1950年長岡市生まれ。世界66カ国を訪問し、1980年カンボジア難民救援医療プロジェクト(現JICA国際緊急援助隊)では、主任調整員として国境地帯で病院を運営。帰国後は長岡市を拠点に多文化共生社会を目指した地域づくり・グローバルな人づくりに携わり、協働による地域力を世界に向け発信している。長岡市国際交流センター「地球広場」センター長。まちなかキャンパス長岡学長。NPO法人市民協働ネットワーク長岡代表理事。ながおか・若者・しごと機構代表理事。チーム中越代表。米百俵未来塾塾長。中越地震、中越沖地震、東日本大震災、熊本地震の際は外国人被災者の救援に尽力。外務大臣感謝状、JICA理事長賞、地域づくり総務大臣表彰、長岡市長表彰など受賞暦も多数。