国の将来を豊かにする人材育成
トロント大学名誉教授 中島 和子 (トロント補習授業校高等部・校長)
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111号巻頭言(2020年5月30日発行) | ||
「日本語教育の推進に関する法律」の成立 年少者の言語教育において, 平成から令和への2019年-2020年は記念すべき年である。超党派の議員連盟による「日本語教育推進法」が2019年6月に参議院を通過, 今年6月にその「基本方針」が決まる。財政的裏付けのない理念法であるが, 従来の日本語を学ぶ外国人に加えて, 外国人と日本人の両親を持つ国際結婚家庭の子女を含む海外在留邦人の子どもが新しく国の支援の対象になった。 「言語を保持するという仕事は親の手を越えたもの」 移民大国であるカナダでは,「カナダ多文化主義法(The Canadian Multiculturalism Act)」の制定に向けて, 連邦政府が全国調査を行い, その結果得られた知見が「言語を保持するという仕事は親の手を越えたもの」(O’Brian,1976:176)である。世代間において急速に継承語が失われつつあること,この継承語の喪失が職業上の差別や教育の機会均等よりもずっと深刻な問題として各言語グループが受け止めていることが分かった。この結果を踏まえて,もし移民がカナダへ持ち込む言語・文化の保持が親の手を越えるほど困難なものであるならば, 税金を注ぎ込んで支援する必要があるということで,「カナダ多文化主義法」が制定され, 連邦政府や州政府の継承語プログラムが始まったのである。 |
移民の多いオンタリオ州の継承語政策は, 同じ継承語を話す親が25人集まって地域の教育委員会にコースの設置を要請すると, 教育委員会が無償でそのコースを公教育の一部で提供する義務を負う。1993年には「継承語」から「国際語」に名称が変わったが、現在でも3万人以上の子どもが週末や放課後に国際語を学んでいる。言語の種類も多く,幼児から中2まで(初等部)ほぼ50言語,中3から高3まで(高等部)は74言語で, その中から地域と関係のある言語を学校が選んで提供している。高等部になると国際語は高校卒業のための単位にもなる。日本語の国際語コースもあり,初等部は9校, 高等部の正課としては6校, 週末・放課後コースが9校ある。 補習校教育とカナダの「国際語」教育はどこが違うか カナダには日本人学校はなく,補習授業校が全国に9校ある。いずれも「国際語」コースと同じように週末か放課後に開かれているが,「国際語」教育と補習校教育は, どこが異なるのであろうか。 大きな違いはまず教育の目的である。「国際語」教育は基礎的な聞く・話す・読む・書く、つまり言語の4技能の育成である。これに対して補習校は, 年齢相応の「教科学習言語能力」(Academic Language Proficiency, ALP)を育てることに主眼を置いている。国語・算数・理科・社会などの教科の学習を通して,高度の読み書き能力を育て,日本語による思考力・判断力・表現力・文章力を養うことである。国際語の授業時間は週2.5時間, 補習校はトロント補習授業校の場合は, 週5時間である。会話力・文法力・語彙力は,家庭と補習校での日本語使用で自然に習得されると考える。 次に大きな違いは異文化体験である。「国際語」は時間的制約のため難しいが, 補習校は入学式、始業式、卒業式などの学校行事, 日本からの派遣教員との触れ合い,日本の検定教科書の使用などによって,日本の学校文化が体験できる。この点は補習校教育の大きな利点で、カナダの移民言語集団の中でも高度なバイリテラル・バイカルチュラルを育てる点で群を抜いており,世界に誇れるユニークな取り組みと言える。 ただ補習授業校には大きな課題もある。それは学校の規模, 教科数, 授業時間, 派遣教員の有無などで大差があるために, 一般化が難しいことである。今後は「小規模モデル」・「中規模モデル」・「大規模モデル」に分けて, 最も成果が挙がる補習校のあり方をそれぞれ探求すべきではなかろうか。この場合, 補習授業校が現地校との組み合わせによる「バイリンガル教育の一形態」であることを忘れてはならない。教師間でこの認識を共有し, 意識して2言語によるALP獲得上の悩み, アイデンティティの揺れなどについて, 生徒同士がとことん語り合う場を積極的に設けるべきであろう。 「日本語教育推進法」と母語の重要性 年少者の言語教育でもっとも大事なのは母語の重要性である。この点で基本理念に,「日本語教育の推進は、我が国に居住する幼児期および学齢期にある外国人等の家庭における教育等において使用される言語の重要性に配慮して行われなければならない。」(第1章第3条第7項)と明記されたことは評価に値する。もちろん先に述べたように「家庭における教育等において使用される言語」は親の母語とは限らないし,「…言語の重要性に配慮する」だけでは不十分である。実際に習い立ての現地語を使って勉強を見てやる方が子どもの成績にプラスになると思う親もいるし、またそう勧める教師もいるからである。これまでの研究では, 親自身が最も自信が持てる母語で年齢相応のやりとりをすることが, 子どもの言語発達に重要であること, 母語を守ることが家族の絆を密にし, 子どもの情緒を安定させ, 家族の一員としてのアイデンティティを育てることが分かっている。「教科学習言語能力」を一番伸ばしやすいのも母語である。 余談になるが、昨年12月26日に長野県上田市の外国人集住都市会議で基調講演を頼まれて, 推進法の立役者であった元文科大臣の中川正治参議院議員にお会いした。そこでどうして「母語」と明記しなかったかと尋ねたところ、答えは「そろそろ母語と言ってもいいんじゃないですか...」であった。基本方針制定の段階では,ぜひ「親の母語」と明記してもらいたいものである。 現地語教育と継承語教育は車の両輪 移民・難民・外国人労働者の受け入れとなると、その政策を支える法律が必要となる。カナダでは「移民法」と「カナダ多文化主義法」と「カナダ憲法」がそれに当たる。今後日本では,日本語教育推進法を皮切りに, 社会の統合を目指す新たな法律に挑戦することになるだろう。現地語教育と継承語教育は車の両輪である。日本語教育推進法を一つの輪とするなら, もう一つの輪は母語・継承語教育を推進する法案であろうか。現地語である日本語と同時に母語・継承語も最大限に伸ばして「バイリテラル・バイカルチュラル」に育てることは, 個人とその家族に利するだけでなく, 国の将来を豊かにする大事な人材育成である。 |