国際企業人の視点から見た在外教育施設の問題

 

                               ペルー三菱商事会社社長  田中 康晴

                                                     

                                                            

116号巻頭言(2024年1月18日発行)

先ず、本稿の本題である国際企業人の視点から見た在外教育施設(日本人学校・補習校)の問題に入る前に、日本の社会や企業が必要としている人材に付いて、私見を述べさせて戴きます。

在外教育の目的の一つとして「日本人としてのアイデンティティの形成・確立」を挙げる論考を目にすることが多々あります。然し、私は、日本人としてのアイデンティティという言葉は非常に厄介な問題を内包していると思っています。抑々、日本人としてのアイデンティティとは多分に主観性を帯びた言葉であり、その解釈は人によって異なります。更に重要なことは、アイデンティティとは他者との関係に於いて成立するものであることから可変であるということです。即ち、世界の変化に伴い、日本人としてのアイデンティティも変化し得る、或いは変化する必要があると思っています。近代史に於いて、日本人は二度に亘ってアイデンティティに大きな修正を加えて来ました。一度目は明治維新時、二度目は第二次世界大戦終戦時です。前者に関しては日本の近代化、後者に関しては戦後復興及びその後の高度経済成長を果たす為に必要な修正でした。

そして今、日本はバブル崩壊後の失われた30年を経て社会的にも経済的にも行き詰った状態に陥っています。その様な状態から脱却する為にも、今一度、世界との関係に於ける日本の立ち位置を見直した上で、アイデンティティに大きな修正を加える必要がある時期に差し掛かっているのではないかと感じています。そして、日本が大きく変わる必要がある時代には、個人的解釈の余地が大きく、且つ、陳腐化が進んでいる可能性がある日本人としてのアイデンティティを押し付ける教育は決して行ってはならないと思っています。寧ろ、日本人としてのアイデンティティを正しい方向に修正し得る人材を輩出する教育が必要だと思っています。誤解のない様に、私は、日本人としてのアイデンティティの全てを否定している訳ではありません。主観が混じりますが、個人的には言語・文化・伝統に類するものは日本人としての核心的なアイデンティティとして時代を超えて育んでいくべきと考えています。

では、日本人としてのアイデンティティを正しい方向に修正し得る人材には如何なる資質・能力が求められるのでしょうか。飽くまでも個人的な見解ですが、世界の国々乃至は人々が持つ多様な価値観や考え方を理解・受容した上で、世界との関係に於ける日本乃至は日本人としての今後の在り方・価値観等に付いて自ら高い問題意識を以って考え、その考えを論理的に説明し周囲の納得・共感を醸成する資質・能力だと思います。即ち、「異なる価値観や考え方に対する理解力と受容力」「問題意識力と自律的思考力」「論理的説明能力と意思伝達能力」です。

実は、今日の日本企業もこれらの資質・能力を持つ人材を必要としています。現在、日本企業を取り巻く経営環境は、VUCAVolatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)と称され、不確実性が高く将来予測が困難であり、且つ、変化のスピードが非常に速い状況となっています。この様な環境に対応する為に、ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & InclusionD&I)の重要性が注目されています。人材の多様性を認識・受容した上で個々の力を活かしていくという概念です。世界的に見て日本企業の人材は均質的或いは画一的な傾向にあると言え、嘗ては日本企業にとっての強みの一つとも捉えられていました。然しながら、VUCAの時代に於いては、人材が均質的・画一的な企業は、不確実性が高く将来予測が困難な環境に対応出来ず、変化のスピードに取り残される虞があることが、ダイバーシティ&インクルージョンの重要性が注目されている背景です。尚、ダイバーシティ&インクルージョンに於ける多様性とは、国籍・人種・性別・言語といった表層的な多様性だけではなく、価値観・考え方・スキル・職歴といった深層的な多様性を含みます。ダイバーシティ&インクルージョンを企業に根差す為には、先述した「異なる価値観や考え方に対する理解力と受容力」「問題意識力と自律的思考力」「論理的説明能力と意思伝達能力」を持つ人材が必要であることは、論を俟たないと思います。

ここからは本稿の本題である在外教育施設の問題に入らせて戴きます。昨今に於いては、海外子女の教育に当たり、在外教育施設ではなくインターナショナル・スクール(以下、インター校)或いは現地校を選択する保護者が増加していることはご存知の通りです。上述の日本の社会や企業が必要とする人材を踏まえるに、「異なる価値観や考え方に対する理解力と受容力」に関連するダイバーシティと、「問題意識力と自律的思考力」「論理的説明能力と意思伝達能力」に関連するアクティブラーニングの両面に於いて在外教育施設に先んじているインター校・現地校を選択する保護者の増加は必然的な流れと感じます。人材難・財政難・設備問題等の在外教育施設が抱える固有の問題、帰国子女に対する門戸の拡がり、オンライン含めた学習機会の多様化等もあるかとは思いますが、突き詰めれば、保護者がインター校・現地校の教育の質・環境をより高く評価していると捉えるべきと思います。

 

では、在外教育施設の問題の所在はどこにあるのでしょうか。勿論、私は教育の専門家ではありません。従って、的外れな指摘かも知れませんが、在外教育施設の本質的な問題は在外教育施設そのものにあるのではなく、日本の社会と教育の在り方にあると感じています。

先ず、日本の社会に付いて触れたいと思います。イギリスのThe Varkey Foundationが定期的に公表しているGTSIGlobal Teacher Status Index)をご存知の方は多いと思います。世界主要35カ国に於ける教職に対する尊敬度合い及び教員の社会的地位を指数化したものですが、日本のGTSIは調査対象35カ国中18位と残念な結果となっています。教職に限らず社会からの尊敬を得られない職業には優秀人材の流入に制約が生じます。更に、The Varkey Foundationの調査に於いては、労働時間の長さや賃金の低さ等、日本の教員の待遇面に於ける問題も指摘されており、その結果、子供が教職に就くことに肯定的な保護者は11%(調査対象35カ国中33位)と非常に低い水準となっています。The Varkey Foundationの調査結果を裏付ける様に、日本の教員採用試験の競争倍率は年々低下しており、2022年には3.1倍と過去最低の競争倍率を記録したそうです。民間企業に於いては、採用母集団の減少は人材の質の低下・量の不足、延いては企業の競争力の低下に繋がります。それと同様のことが、教育の現場に於いても生じているのではないかと愚推します(誤解のない様に、飽くまでも全体傾向の話であり教員個々人の質の話をしている訳ではありません)。如何に優れた教育システムを構築しても、実際にシステムを運用するのは教員です。仮に教員の質の低下・量の不足が生じているとすれば、質の高い教育は期待出来ません。そのことが、海外子女の保護者がインター校・現地校を選択する一因となっている可能性があると思います。日本の社会に於いては、伝統的に教職は尊敬の対象であった筈です。日本人としてのアイデンティティは可変であるということは冒頭に申し上げた通りですが、こと教職に対する尊敬という点に於いては、誤った方向に変質していると思います。社会の教職に対する尊敬を取り戻し、教員の社会的地位の向上を図る為にも、日本人としてのアイデンティティを正しい方向に修正し得る人材を輩出する教育が必要であると考えます。尚、ここで私がいう教育とは、学校教育のみならず社会教育・家庭教育を含みます。

次に日本の教育の在り方に付いて触れたいと思います。近年、日本に於いても生徒の主体性をより重んじたアクティブラーニングの重要性・必要性が議論されていると認識しており、この点、非常に肯定的に捉えています。一方で、アクティブラーニングの分野に於いては欧米諸国が先行しており、日本は後発の立場にあると理解しています。民間企業に於いては、後発企業が先発企業に対して優位性を確保する為には、先発企業の製品・サービスに新たな付加価値を付けて市場・顧客に訴求する必要があります。これを教育に置き換えると、アクティブラーニングの分野に於いては、日本は先行諸国に学びつつも、日本の教育の長所や強みを加えることによって、更に質の高いものに進化させていく必要があるということになるかと思います。この点、日本人は、核心的なアイデンティティは守りつつも、海外から制度・知識・技術等を柔軟に取り入れ、それらを独自の形で発展・進化させる能力に非常に長けていると思います。繰り返しになりますが、私は教育の専門家ではありませんので、日本の教育界に於けるアクティブラーニング含めた教育の在り方に関する議論や取り組みに付いて、充分な理解・知識を持ち合わせていません。ただ、日本の教育界に於ける議論や取り組みが、世界に誇り得る教育の質に繋がるのであれば、自ずと海外子女の保護者の在外教育施設に対する評価の見直しに繋がると思います。

 

最後になりますが、私は、職業柄、様々な国々の文化・社会・政治・経済等に触れる中で、国力の源泉は教育にあるとの考えに至っています。その様な考えからも、教育関係者の方々に対しては高い敬意を持つのみならず、大きな期待を抱いています。又、約40年前に当時としては非常に先進的な教育を日本人学校から施して戴いた自身の経験からも、在外教育施設には日本の社会や企業が必要とする人材を輩出する潜在力があるとも思っています。今回の寄稿に当っては、複数の教育関係者及び海外子女・帰国子女の保護者の方々より貴重なお話を伺う機会を持たせて戴きました。ご協力戴いた方々にはこの場を借りて心からお礼申し上げます。