ある検索ウェブで「共生」で検索してみたら、なんと60万件以上がヒット。そのなかで目についたものは、「多文化共生センター」、「環境共生住宅協議会」、「富山県共生センター」、「日本環境共生学会」、「多文化共生人権教育センター」、などである。多文化共生、人間と環境・自然との共生、男女共生などがメインテーマになっていることが分かる。
しかし、私が共生・共学という言葉にめぐりあい、衝撃をうけ、この言葉こそこれからの教育のあり方を考えるキーワードだと思ったのは、「障害」のある子どもとない子どもとの「共に生き、共に学ぶ」関係づくりを訴えていたあるグループの主張だった。この言葉は、地域のなかで他の子どもたちと共に学校に通いたいと願っていた子どもたちが、「障害」があるという理由で、その学びと育ちがわけ隔てられ特別の場が用意されることへの異議申し立てためをするためのものであった。1970年代初めの頃のことであり、世界的にはノーマライゼーションとそれに基づく統合教育の動きが顕在化していた。
その後、たまたまある教育改革案づくりに参加し、これまでの教育の歴史を振り返えってみた時、共生・共学はもっと広がりがあり深い内実を込めることのできる言葉だと感じた。かつては女子と男子とが、そしてまた黒人と白人とが別々に学んでいたが、こうした別学は教育における差別とされ、今や共学や統合が基本になっている。
しばらくして私は、在日コリアンの伊健次(ユン・コンチャ)が書いた『異質との共存』という強烈な本に出会った。他民族の同化を強いる日本の社会と教育への批判。彼が提起したのは、異質なるもの同士の共生、違いを違いとして認めあいながら共生する日本社会の創造であった。私自身のイタリア・ミラノでの異文化体験と、そこから見えてくる日本の社会や教育のありようへの疑問がユンの告発ともいうべき主張の理解を深める契機となった。その提起を受けながら、独自に文化を育んでいるアイヌや沖縄への視点、ニューカマーの存在を踏まえつつ、日本社会のなかの多文化性を発見し、それを大事にする教育が不可欠だと考えるようになった。さらに子どもの権利条約の批准にかかわっては、子どもと大人、生徒と教師との共生という発想で学校の在り方を考えたりもした。
こうして私は教育の基本的な在り方を「共生・共学」という観点から考えるようになった。その私がいつも気をつけていること。それは以下の点である。
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「共生・共学」を考える時、差別や排外という現実の社会的な関係を克服しようという立場を絶対に忘れてはならないし、人権の視点は欠かせないということ。かつての「大東亜共栄圏」構想にならないように、現存する差別や不平等を見据えておかねばならない。教育において人権確立がめざされねばならない。
次に、「障害」のある子や異文化を身につけた子に同化を迫るか、そうでなければ排除するような日本の普通教育のありかたを問題にすべきであること。問題は、そうした子どもたちの側にあるのではなく、受け入れようとしない側にあるのだ。たえず、今の主流の教育を問い直す必要がある。
「違いを豊かさに」という観点は大事である。同時に人間存在の根源的共通性も踏まえておくこと。そうでないと、「異化」という差別もありうること。その時に「違い」をあまりカテゴリー化しないこと。どこで「障害」のある人とそうでない人との線を引くのかが不明であるし、「性」にしても明確な区分け基準がないからである。子どもたちのそれぞれに違いは、子どもたちが作り上げてきた存在の独自性であり、他人がそれをあるカテゴリーで判断するものではない。
さらに「他者を知る前に自己を知れ」ということが強調されるが、それは一面的であること。むしろ他者を知ることで自己が見えてくることがある。つまり関係をすすめるなかで「違い」や「独自性」がより鮮明になる。したがって、いまこの日本の教育において、日本の伝統文化(けっして明確に定義はされてない)が強調され、まずこれを学ぶことがいわゆる国際理解にとって不可欠であるという主張が強くなっているが、これはおかしな話である。
最後に、私の共生論とつながっている議論を紹介しておきたい。「“反差別”は人間はそれぞれに異なっていても同じ人間として皆平等であることに重点をおき、“共生”は、人は価値においては同じでも、生きた具体的は人間はそれぞれが異なった存在であり、この異なった多様な存在が多様性を否定されることなく、人と社会に関わりあうことを求める。そのために、社会そのものの多様性を求める。そして何より、隔離と分離と排除が人間の尊厳を根本のところでおびやかすことを認識する」(大谷恭子『共生の法律学』ゆうひかく選書)。
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