関係づくりからの出発

 

東京学芸大学国際教育センター・助教授   高木光太郎

82号巻頭言(2006年11月1日発行)

 もう何年も前のことだが、ある小学校で、地域に住む中国帰国者の方々と子どもたちが、一緒に餃子を作るという授業を見学したことがある。ご存知の方も多いと思うが、日本でよく食べる焼餃子は中国ではあまり食べないそうで、水餃子や蒸餃子が一般的だという。皮も日本では薄くてパリッとしたものが好まれるが、中国の餃子の皮は厚めでしっかりとした食感のものが多い。こうした身近な食べ物の違いを通して、中国の文化に興味を持ってもらいたい。そうしたねらいを持った授業だった。
 子どもたちは中国の食文化についていろいろと調べていて、この日の授業をとても楽しみにしている様子だった。先生たちは、食文化を通して中国を知るという授業本来の目標に向けた工夫だけではなく、料理の手順、材料の下ごしらえ、調理器具の配置など、短い時間で餃子を完成させるための準備も入念にすすめていたようだ。餃子づくりの「先生」として招かれた中国帰国者の方々も少し照れながらもニコニコと楽しそうだった。これでうまくいかないわけはないだろう。実際、授業は大いに盛り上がった。時間内に餃子を完成させるのは、やはり大変で、終盤は少々慌て気味の展開になってしまったが、それも含めて全員が餃子づくりに熱中していたことは間違いない。試食させていただいた水餃子も授業で子どもたちが作ったとは思えない「本物」の出来だった。
 見ていて楽しい授業であった。もちろん参加していた子どもたちや中国帰国者の方々も大いに楽しんだと思う。準備に、実施に奔走していた先生たちは少しお疲れのようであったが、充実した様子だった。繰り返しになるが出来上がった水餃子も格別に旨かった。
 こうした「イベント型」の交流授業を批判的に評価する人たちもいる。盛り上がり、楽しいが、肝心の異文化理解が深まらないのではないかという疑問である。交流に向けた調べものや議論は異文化理解の深まりに結びつくかもしれない。しかし、授業のクライマックスとなる交流は「ただ楽しいだけの場」に終始しがちで、機会を学びに十分に生かせないというのである。私もかつてはそう考え、大学の授業でも「一回限りのイベントではなく、時間をかけてじっくりと異文化との関係を深めていけるような授業を」と学生に話していた。

 だがこの餃子づくりの授業を見学していて、少し考え方が変わった。こうした授業にも面白い可能性があるのでは、と感じたのだ。中国と日本の食文化の違

いを理解し、中国への関心を深めていく、という授業の直接的な目標がどのぐらい達成されたのかは分からない。とにかく時間内に餃子を仕上げることにみんなが集中していたので、もしかすると中国についての理解よりも餃子づくりの理解が深まってしまったかもしれない。しかし私はこのように「全員一丸となって餃子づくりをした」ということに、むしろ、この授業の可能性を感じたのである。
 グループに分かれて一心不乱に皮づくりをし、餡を包み、茹で上げていく。そうするうちに、子どもたちも、中国帰国者の方々もお互いを「○○さん」「○○くん」「○○ちゃん」と名前で呼び合うようになる。「あれ、うまく出来ない」「どれどれ見せてごらん」「あれ、○○ちゃん、よく見るとあたしの孫に似てるね、うちの孫はね...」と会話が弾んでいく。「中国帰国者のみなさん」と「○○小学校○年○組の子どもたち」という余所余所しい関係が、名前を呼び合い、一緒になって餃子づくりに奮闘する「協働の関係」へと一気に変わっていくのだ。これは小さいが、意味深い変化ではないだろうか。この教室ではこうした「関係の組み直し」が、沸騰しかけた鍋の湯の泡立ちのように、あちこちにポコポコと広がり、湯気をあげていた。
 発達心理学者のヴィゴツキーは、学習や発達が子どもと他者(仲間や大人)との関係づくりから出発すると主張していた。この授業で泡のようにわき上がった新しい関係は、「わたしーあなた」という二人称的な視点で異文化をとらえる、よりリアルな異文化理解の出発点となりえるものだった。残念なことに、この授業では最後に子どもの「代表」が「中国帰国者のみなさん、ありがとうございました」とお礼をする段取りになっていたため、せっかく泡だった関係がリセットされてしまったが、この泡を消さず、もっと大きなものにしていくことは可能だと思う。たとえば一連の授業の最後に交流イベントを置くのはなく、子どもたちの探求の出発点に設定し、そこで生まれた関係を大事に育てていくような展開である。
 異文化との関係を泡立たせる場としての交流。一緒に楽しく盛り上がった思い出を子どもたちと異文化の人々が共有し、それを出発点にしてお互いの理解を深めていく。湯気をたてる餃子を食べながら、そういう国際理解教育の組み立ても面白いなと思ったわけである。