外国人の視点から見た日本の学校登校時の「はたふり」

      川崎市日本語指導等協力者 高橋 悦子

89号巻頭言(2009年7月20日発行)

 日本の学校にも外国の人たちが入ってきてともに学び、学校での活動や行事を共に行う時代になってきた。筆者はスペイン語圏の人たちからの教育相談を全国レベルで受け付けてその支援活動を行っている。最近では子どもたちの親の世代に日本の学校教育や学校行事を母語で説明する方法が分からない、あるいは説明できないということの問題である時代になってきている。その中で先日、筆者に送られてきたメールで興味深いものがあったので紹介したいと思います。メールの差出人は日本のある地域で住んでいるスペイン語圏の男性で子どもが4人、孫が8人いる方です。以下本人の文章を翻訳要約したものです。
 いつも仕事で学校の横を通っていますがそこで見る「はたふり」に関してお伝えしたいと思います。私が毎日通勤している道に中学校の正面玄関と小学校の間に道路がありそこに横断歩道があります。2年前のある日、私はいつものように通勤のために車を走らせていました。丁度学校の前の横断歩道のところで学校に行く子どもたちがいたので、私は車を止めました。そして次のような光景に出くわしました。その日の当番の旗をもっていた母親が何か“ほんの少しの気の緩み”でストップのための旗をひろげていませんでした。そこに子どもがかけてきたのです。ちょうどその時、猛烈な勢いで通学路であるにもかかわらずトラックが進んでくるのが見えました。女の子は近づいてくる危険に気もつかずに安心しきって旗振りの人のいるその横断歩道を渡ろうとしていたのでした。私はそのトラックがとても速いスピードで進んでくるのが見えていたので運転手に止まるように叫びたかったのですが、声が出ませんでした。旗を手にしていたお母さんたちも一瞬凍りついて何もすることができませんでしたが、ほんの数千分の一秒の差で子どもはその横断歩道を走りぬけました。まるでトラックとその女の子の間に透明な板が置かれたのか、眼に見えない神の手が伸びて女の子をすっと引っ張ったのかのようでした。そのトラックの高い運転台からはその女の子のことは何も見えなかったに違いありません。2か月後も同じ場所で同じような場面に出くわしました。
私は保護者たちのしているよく組織されているほとんどボランティア活動である「はたふり」を批判するつもりはありません。しかし、ここで私は「はたふり」について娘の経験も踏まえて次のことが言いたいのです。以前、私の娘が孫である小学校の子どもの学校でこの「はたふり」の当番にあたったのです。ところが彼女はいつ旗をまっすぐにしたり、横にしたりしたらいいのか、横断歩道の真ん中まで出て安全のために体を張って子どもを守らなければいけないのか、ということを全く理解せずにその当番を引き受けていました。

私は自分の娘だけではなく、多くの人たちがどのようにすればいいのかを理解せずにこの活動に参加しているように思えたのです。子どもたちが『信号青』という感覚の信頼をもってこの旗が守ってくれている道路を渡っているのです。一瞬ひやりとした光景に遭遇して以来私はこれらの活動を注意深く観察するようになり次のようなことに気がつきました。
a) 控え目というか恥ずかしがりの人なのでしょうか「はたふり」をまるで近所の人友達や会社の人に見られるのがいやであるかのように遠慮がちに旗を扱っている
b) 通学していく生徒たちに見えにくい場所で旗を振っている。道路の進入口ですればいいものを見当違いのところに立っている
c) 交通量の多い場所での旗振りの場合、車をあえてとめるのか、あるいはたまたま通りかかった親切なドライバーが止まってくれるまで待つのかが十分に理解できていない。
d) 母親によっては幼い子どもを一緒に連れてきたり、あるいはその小さい子どもにはたふりをさせている。
e) 多くの保護者に見られることのですが、携帯電話で話しをしながらはたふりをしている
f) 校門に先生が立っていることがあるのですが、子どもたちが交通ルールを無視しても何も声をかけようとしない
g) いつも危ないと感じる場所は同じであるのにもかかわらず「はたふり」を置いていない
 以上、多くの点でこの活動はよく考えた方がいいと思いました。これらの活動の管轄が文部科学省にあるのか国土交通省にあるのかはわかりませんが子どもが通学する時間帯に通学路に車の進入を禁止する必要があるのではないかと感じました。これらは一地域の外国人住民の声として特に気にとめていただかなくても結構ですが、私の感じたことを誰かに伝えたくてメールを書きました。
以上の内容でした。このメールで気がついたことは私たちが日常行っている行動に関して、その本質的な必要性や問題点については議論することが少なく以前からの申し送り的、あるいは習慣的に物事を受け止めてそのまま続けていないかということに気付かされたということです。また、日本人と同じレベルでの日本語が分からない人もいるということを想定して行事等の意味や内容、責任を保護者に伝える努力も必要ではないかということでした。当たり前のことのように地域に外国の人が共に暮らすようになり、彼らの視点から見て改めて日本人が考えなおしたり、その意味を問いなおす機会ができることこそ、多様な文化の人と共に暮らす楽しさでもあると思います。