震災を考える 震災から考える

      全海研副会長  齊藤 仁

93号巻頭言(2011年7月30日発行)

 今を生きる人間にとって、3月11日に起こった未曾有の災害である東関東大震災について語らずに済ますことは不可能です。この災害によって、甚大な生命が一瞬にして失われ、途方もない財産が瓦礫と化し、原子力発電所は予想もしない深刻な事態を引き起こしました。一連の報道のなかで、自然災害は人知をはるかに超え、文明の自然に対する無力が報じられました。また、「想定外」という言葉もよく聞きます。復興の遅れに対する苛立ちや今も続く放射能への恐怖、電力不足の不安など、どれも終息の見込みは立ちません。なにか巨大な壁の前で、自らの無力感に打ちひしがれている、そんな現状です。
 しかし、瓦礫の山を目の前にして、ただそこに佇んでいても何も始まらない。失ったものを嘆き悲しんでいても何も起こらない。私たちは、それぞれの立場や役割において、もう一度自分たちの生き方やあり方について考え直し、新たな一歩を踏み出さなくてはいけません。
 とりわけ教育に何ができるのか、という問いかけはとても大切です。教育に携わる者が、今回の災害を通じて子どもたちに、何をどのように教えるべきなのか、十分に整理できたでしょうか。
 例えば、今回の津波による被害は、本当に天災だったのか。もしかすると、行政や地域の取組で防ぐことができたのではないか。東北地方の防波堤を易々と超えてきた真っ黒な津波は、明治29年三陸大津波の時には最大38mを記録しているのです。その教訓を生かした岩手県譜代村はほとんど被害がなかったといいます。国や市町村の行政組織が、なぜ過去の教訓に学べなかったのか。同じことが今後100年先の津波でも繰り返されるのか。そうならないためには、一体教育において何ができるのか。民主主義という政治体制が、今後も最もふさわしい統治スタイルとするならば、市民性の教育は十分だろうか。自助・共助・公助という3つの立場から、子どもたちは社会の担い手として育てられているでしょうか。
 福島第1原子力発電所の炉心溶融や水素爆発は本当に衝撃的な事故でした。日本の技術力を信じていた多くの日本人にとって今回の事故は予想を超えた事態であり、また事故によって放出された放射性物質の量と今後の被害については息を呑む思いです。

 災害前、東京電力は、原子炉の安全性をキャンペーンしていましたが、今となっては科学的な検証が十分であったとは断言できない。全電源停止という非常事態は、一般の人々には伝えられてこなかったのです。かつて、ある食品が健康にいいと放送されると翌日にはその食品が品切れになってしまうという事件がありました。TVで放映されるバラエティ番組を、科学的な根拠ありと多くの日本人は素朴に信じていたのです。科学技術に関する意識調査で、日本の成人の科学技術の基礎的概念に関する理解において14カ国中12位という調査結果は、現実を正しく表しています。子どもたちに科学的な思考力はおろか基礎的な科学概念がきちんと身についているでしょうか。
 ヨーロッパで続いた反グローバリズムの運動は、遠い外国の遠い出来事として日本ではとらえられていましたが、今ようやく節電要請の中でエネルギーを際限なく消耗する社会について考え始めました。私たちの豊かさを問い直すきっかけです。バナナを生産する国の人々が、バナナを食べられない、コーヒー豆を生産する国の人々はコーヒーが飲めない。そんな現状に目を閉じて、今ある経済的なシステムに同調し、そこから得られる快適さを享受しているのです。発展途上国と我が国の現実を比べて批判的に問い直すことができるだろうか。現状のレトリックに対して批判的な思考や判断がとれるように、子どもたちは訓練されているでしょうか。
 この情報化社会において、子どもたちが大量の情報をリアルタイムで獲得するという現実に教育はどう立ち向かうのか。津波の映像はテレビでも放映されましたが、もっとリアルで衝撃的な映像はユーチューブなどインターネットを介して誰もが見ることができました。こうした子どもたちを取り囲む情報社会に対して、教育ははたして十分に責務を果たしているか。猛烈に進化しているコンピュータ社会に対して、教室の中で何ができるだろうか。
 どの問いかけも、大きな答えはでませんが、派遣教員の学校では小さな取組が始まっています。こうした小さな取組が、日本の教育が今後未来に向けてグローバルスタンダードな教育改革を進めていく重要なターニングポイントになっていくものと考えています。