派遣教員の活躍に期待する

      外務省・大臣官房人事課子女教育相談室長  小澤 一郎

94号巻頭言(2012年1月20日発行)

 「帰国後、日本の学校(中学校)に馴染めなかった」「英語ができるわけではないし…」「英語はできるけれど、日本語がどうも…」という帰国生に三十数年前に出会いました。以来、退職するまで帰国生だけの高等学校に勤務し、教育実践と研究を重ねて参りました。当時担当していた「世界史」は帰国生にとって興味深い科目であり、また新鮮な内容と映りました。帰国生は滞在国が多岐にわたり、学習履歴も多様なため、指導は当然個別的にならざるを得ません。そこで帰国生の特性をいかして「世界史論文」を書かせることにしました。「調べて、書く」は出身の学校種を問わず帰国生が取り組みやすい学習方法であり、「発表する」を加えてさらに学習意欲も増しました。他方、国際学校や現地校出身者に対しては日本語指導の機会にもなって効果的でした。団塊世代の自分が受けた人数の多い中での教育とは異なります。こうして「授業の中でいかに個別指導を取り入れるか」、そしてその先の「帰国生教育の指導法を国内の学校教育にどういかすか」がわたくしの研究課題となりました。この課題は、当時においては目新しい国際理解教育をテーマとした研究開発学校の中でも取り組むことになりました。
 さて、現職にあって海外巡回の折、教育現場を視察する機会があります。時折、日本人学校・補習授業校に派遣された教員が個別指導の現場に立たされているのを見ます。一部の国を除き日本人学校等の多くが少人数のクラスです。派遣された先生が国内であまり経験したことのない現場がそこにあります。先生方は、海外に住むことで学びの不安や生活環境の不安が子どもの心にあることを知っています。だから、そうした不安な気持ちを解くことから学習への意欲を引き出そうとしています。この個別指導の原点を踏まえた実践は、帰国後の学校で帰国生がいた場合はもちろんのこと、それ以外にも個別指導を必要としている子どもに対しても、必ずいかされるに違いありません。少人数教育の現場が増えているこんにち、派遣教員の活躍の場が国内でも用意されています。

 アフリカを巡回した際、ある地域で近くに学校がなく教育を家庭にのみ頼っている現状を目にしましたが、それは例外として多くの地域で、子どもたちは日本人学校・補習授

業校、国際学校・現地校に通学できます。日本人学校の教員には、国際学校や現地校の情報が国際交流プログラムなどを通じて情報が届きます。補習授業校にあってはその情報量はより豊かです。国際学校や現地校について、その実態を国内の紙面上の研究で知ることには限りがありますが、そこではより精確な情報が得られます。通学している子どもの反応も見ることができます。現在、国内の学校ではグローバル化社会の中での学校教育のあり方が模索されています。それについては、今回の学習指導要領の改訂により一定の成果が期待されますが、カリキュラムやその指導方法についてさらに思い切った工夫や試みが求められているようです。国際学校の一部で採用している国際バカロレア(IB)を導入するもその一つ。これはすでに実施している学校もありますが、さらにこの種の学校が増えた時には、海外の学校を直接見る機会のある日本人学校・補習授業校経験の教員の視点は重要です。
 今、各地の日本人学校・補習授業校に国際結婚家庭の子女が増えています。欧州や中国・韓国といったアジア地域でこの傾向は顕著です。この中に帰国を前提としない、ただ日本人としてのアイデンティティ保持を目的としたケースがあります。これにどう向き合うか。一教員の対応の問題ではありませんが、具体的な授業展開の場面で対応を迫られます。また、先ごろ南米諸国を巡回しましたが、この地域では日系人社会という確たる存在があります。日系人はこれまで築き上げてきた社会的基盤の上に日本人としてのアイデンティティを維持することに努めています。日本文化に関する精力的な活動や、日本語学校経営・日本語普及活動、県単位の相互扶助の集まりなどがあります。これといかに連携を図って教育活動に関連づけるか。外国の中にあっての日本的社会の理解は、これまでのものとはやや異質な国際理解教育の内容となるでしょう。
 世界は広い。派遣教員に期待する内容は地域によって違います。しかし、どの地域であろうともそれぞれの課題を背負いながら果敢に海外での教育活動に向かう派遣教員に、心から敬意を表したいと思います。さらに、海外におけると同様に帰国後の学校教育においても継続して活躍されることを期待します。派遣教員への期待と願いを込めて、わたくしの個人的見解を述べさせていただきました。