私が課長を務める国際教育課は、元々「海外子女教育課」という名称であったことはご存じのとおりである。名は体を表すと言うが、昭和63年7月に設置された海外子女教育課は前身の室時代から、日本人学校への支援など海外に在住する日本人の子女や帰国子女に対する教育の充実が主な任務であった。
その後海外在住経験のない児童生徒にとっても、異文化理解など我が国の国際化の進展に対応した教育の重要性が指摘されるようになった。学校での様々な実践の蓄積を経て、平成10年に改訂された学習指導要領において国際理解教育が盛り込まれるに至った。
その一方で平成13年に第1回外国人集住都市会議が設立されたことに象徴されるように、外国人住民の増加と彼らの受入が大きな社会問題として注目されるようになった。教育面では公立学校で外国人児童生徒をどう円滑に受け入れるか、試行錯誤が続いた。
同じ頃我が国の英語に代表される外国語教育に対する改革への要望も高まり、平成20年の学習指導要領改訂において外国語活動が小学校に正式に導入されるなどの施策が打ち出されている。
さらに近年では日本の若者の内向き志向が指摘され、大学生だけでなく高校生の海外留学や外国人高校生の受入を促進する取組も始まった。
以上長々と書いたが、現在国際教育課では海外・帰国子女教育、国際理解教育、外国人児童生徒への教育、外国語教育、高校生交流といった幅広い施策を担当するに至っている。つまりこれらをまとめて「国際教育」と呼んでいるわけだが、逆に「国際教育って何ですか?」と聞かれると意外と説明が難しい。
平成17年8月に「初等中等教育における国際教育推進検討会」がまとめた報告の中では、国際教育とは「国際社会において、地球的視野に立って、主体的に行動するために必要と考えられる態度・能力の基礎を育成する」教育と定義されている。しかし、抽象的で今ひとつイメージがわきにくいと感じる方も多いのではないだろうか。
これを児童生徒の側から見ると、どうなるだろうか。例えば、小学校に入ると同級生にブラジルから来た子どもがいて、友達になった。しかし、親の転勤で中国へ行き、日本人学校に通う一方、中国人の友人もできる。帰国して戻った小学校では外国語活動が始まり、ALTと仲良くなる。そのおかげで中学の英語も得意になり、高校時代にはアメリカへ留学。帰国して日本の大学に入学後今度はイギリスの大学留学。
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あるいはブラジルから来た子どもが日本の学校に受け入れられ、日本語だけでなく英語も得意になる。数年後ブラジルに戻るが高校で日本語をさらに勉強し、日本の大学に留学。
少々出来過ぎかもしれないが、こんな子どもたちがいても決して不思議はない。
教員の側から見ても、例えば最初に赴任した小学校で外国人の児童への通級指導を担当し、数年勤務した後中東の日本人学校へ派遣される。帰国後その経験を活かしてイスラム文化を題材にした授業を行い、これに刺激を受けた教え子が数年後中東へ留学する。あるいはヨーロッパの日本人学校から帰国・転入してきた子どもを担任で受け持つ。こんな教員がいても不思議はないはずである。
このような児童生徒や教員にとって、あなたが経験したこの部分が「海外子女教育」であり、別のこの部分は「国際理解教育」ですよと分類することは、ほとんど意味のないことである。より重要なことは、彼らは学校の教科を学ぶのと同じ感覚で異文化や外国語を習得し、外国人と良好な関係を築く姿勢・態度を育んできたことである。今の我が国の子どもたちに求められているのは正にそのような教育である。
さらにあえて話をややこしくすると、次のようになる。日本人学校・補習授業校における外国語教育にはその国で児童生徒が生活する上で役に立つような視点が必要だし、その一方で日本人の長期滞在者や永住者の子弟向けの日本語教育・日本文化理解教育にも力を入れる必要がある。我が国の学校で受け入れている外国人児童生徒に対しては、日本語だけでなく母国語の教育も重視することにより彼らの自信を育む視点が必要である。我が国の外国語教育は、高校・大学における海外留学を目指すとともに大人になって海外で仕事や生活を送る場面で活用できるような知識と技能を獲得できるものでなくてはならないし、国際理解教育にはもっと外国語を使って学習する場面を増やす必要がある。
海外・帰国子女教育、国際理解教育、外国人児童生徒への教育、外国語教育、高校生交流。これらがバラバラに展開されるのでなく、より有機的に連携しながらグローバル化の進む世界で活躍できる人材の養成に貢献していく。これこそが「国際教育」のあるべき姿と考えるが、どうだろうか?
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